2022年12月11日日曜日

歴史のバトンをしっかりと未来に

 日本国憲法の第九七条では、「憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と記し、基本的人権が長きにわたる歴史的な遺産であること示している。この条文の、「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ」てきたものであることを、より具体的に膨らませ、わかりやすくしたものがあった。
 それは、
「地球は丸く、自転している」というガリレオの主張が許されなかったのは三五〇年前のことです。しかもそれは、無知からというよりは、櫂威に逆らっているという理由からだったのです。
「この人とは結婚しません」と、女性が主張できるようになったのは、日本ではわずか四〇年たらず前のことにすぎません。それまでは「家」制度という秩序にもとづいて、婦人の権利・地位が低くおさえられていました。
 今日の私たちにとっては「あたりまえ」のことが、そうなるために、実に多くの人びとの努力があり、さらに多くの人びとがその「あたりまえ」のことが認められずに苦しみに耐えてきたことがわかるでしょう。
「人間が、自分の身体、心そして活動について、他から東縛されることなく、自分の意志で決定できる」ということを確立するためには、大きな犠牲を払いながらの人類の長期にわたる努力がありました。しかも、そうした努力の成果も、専制的な権力者によって何度も崩され、あともどりをしいられてきたのです。(『世界の憲法 人権思想のあゆみ』、一橋出版、1991年、まえがき)
 である。
 現在我々は、「人間が、自分の身体、心そして活動について、他から東縛されることなく、自分の意志で決定できる」自由がある。しかし、少し前までは、それこそ信じられないような不自由や不平等があった。空気のありがたさを普段は忘れているように、今では当たり前のことも、かつてはそうでなかったことを思い出し、歴史的発展というものが確かに存在することを確信し、未来をこの発展の方向に推し進めていくべきである。歴史のバトンをしっかりと受け取り、未来に引き渡すべきなのである。

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