行為と動機と満足する点との三拍子が揃って正しくなければ、その人は徹頭徹尾、永遠までも正しい人であるとは申しかねるのである。
道徳的であるとは「正しい人」であるということだ。渋沢さんは、やっていることとやろうとした理由が正しく、しかもそのけっかに自分が満足していてはじめてほんとうに正しいとしている。とてもきびしい教えだね。
とえば宿題がおわらずこまっている人を手つだってあげるのは正しいかな。助けたいという気もちは正しくても、手つだってあげるのはいいことじゃないよね。あとから「やっぱりほんにんのためにならなかったなあ」なんて思うかもしれない。渋沢さんのせいこうは、これくらい正しさにこだわったからかもしれないね。 (p 72)下腹部に力を籠める習慣を生ずれば、心寛く体胖かなる人となりて、沈着の風を生じ、勇気ある人となるのである。
わかりやすく言いかえると、おへそのしたあたり(丹田と言う)に力をいれる習慣があると、心やからだがおちつくというアドバイスだね。武道やスポー ツの話のように思うかもしれないけれど、渋沢さんは経営者にもこれが役立つと考えたんだ。なにかとつぜんのことでびっくりしたりこまったりすると、人はからだがブルブルふるえたりするからね。この習慣を身につけると、そんじょそこらのことでは動じなくなって、立派な人だと思われるようになるよ。 (p 73)
「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
2022年12月23日金曜日
渋沢栄一さんの金言
齋藤孝さんの著書『小学校では学べない一生役立つお金の勉強』に、「偉人の金言から学ぶ」というのがあって、渋沢栄一さんの言葉と齋藤孝さんによるその解説があった。憲法の三原則の関係に興味を持っている関係で、「三拍子」という言葉に反応し、憲法の三原則も、”揃って正しくなければならない関係”ではなかろうか、と考えられることに気づいた。
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