ロシアとウクライナの戦闘状態が未だ止む気配はない中、さまざまな論評が飛び交っている。軍事アナリスト小泉悠氏による「『戦争論』が説くウクライナ前線の背景」(『週刊東洋経済』、2022年12月10日)も、その一つだ。初めは何の疑いもなく、読むことができた。しかし、前提を”真なるもの”と確信して議論が進められていることに気がつ具ことができた。
例文を次に引用したが、下線部分が前提で、太字部分が結論になっている。下線部分が真実かどうかは疑わしい。だから、「人間性の発露としての戦争をトゥキュディデスは紀元前から直観的にわかっていたし、それは古代も今も変わらない」という結論もあやしいことになる。
また、「クラウゼヴィッツは、 攻撃の相互作用によって、暴力が極限に達する」と言っているようだが、クラウゼヴィッツの言葉が真実ならば、とても恐ろしい事態が予想されることになる。それにしては、それほどの危機感を抱いていないように思われる。危機感を抱いていれば、とても、軍事力倍増の議論にうつつを抜かしていることなどできない。それよりは、全力で停戦合意を目指しているはずだからである。
プーチンの語りを素直に聞けば、ウクライナが西側に取られてしまうという恐怖心や、本来ロシアの一部であるウクライナを自分が取り戻すという名誉心で戦争を始めたとしか思えない。そんなフィクション中の悪役のような理由で人間は戦争を始めることがあり、それはトゥキュディデスの時代から変わっていないのだ。
戦争と人間性は対比して語られがちだが、むしろ悪い意味で非常に人間的な営みといえる。悪い意味での人間性の発露としての戦争をトゥキュディデスは紀元前から直観的にわかっていたし、それは古代も今も変わらないのだと『戦史」は教えてくれる。
もう1つ挙げたいのが、プロイセンの軍人だったクラウゼヴィッツの『戦争論』だ。彼は近代の戦争の普遍的なルールを見いだし、19世紀前半に本書を書いた。
クラウゼヴィッツは『戦争論』の冒頭で、「戦争は暴力闘争である」と定義する。戦争は拡大された決闘であって、暴力によって敵を屈服させることがその本質にある。国家が政治目的を達成するための激しい暴力闘争。これがクラウゼヴィッツの戦争モデルだ。(『週刊東洋経済』、2022年12月10日、p42)クラウゼヴィッツは、 攻撃の相互作用によって、暴力が極限に達すると説く。(上同、p43)
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