しかし、一点だけはっきりしていることがある。軍備を持っている以上、先制攻撃をしなくても、攻撃されたと言って反撃(自衛権の行使)すれば、その時点で平和な状態は崩壊してしまう、ということである。ゆえに、真の国防は、「完全非武装、非交戦を定めた第九条を守り抜く」だけでなく、第九条を世界に宣伝し、普及していくことではないだろうか。
それにしても、第九条には、「理想主義だけではなくて、現実的効用」があって、その現実を認識することが、一番大切という弓削達さんの指摘には気づかなかった。そう言えば、これまで、9条のおかげで、実際に戦闘に巻き込まれることがなかった意義は大きい。しかし、いつまでこの状態が続くかわからない。9条の解釈改憲が一層進んできているからだ。こんな時だからこそ、改めて日本国憲法の真価を学び直しないものである。
一貫して第九条を、非現実的な理想主義として小馬鹿にする声高な議論に対して、完全非武装、非交戦を定めた第九条を守り抜くためには、この完全非武装、非交戦が、現代においてもっているところの現実的効用を認識すること。理想主義だけではなくて、現実的効用を認識することが必要です。それがいま一番大事ではないかと思います。
まず、現代においては、戦争と、そのための準備としての軍備は、本来それが目的であったであろうこと、たとえば、自分の国を外国の侵略から守り、独立を維持し人権を守るという本来の目的を達成する手段としては、もはや武器による戦争はその意味を失い、反対に、人権、経済、財政を破壊する手段でしかなくなっていると理解することにほかならないのです。
ということは、戦争も軍備も、その手段性を失っているということです。いま世界中にある核兵器の威力は、広島、長崎の揺籃期からは想像もできないほどになっています(広島投下原爆の四〇万個分ともいわれます)。人類を何十回も滅亡させるほどになっているわけです。非桜兵器の威力も放射能を出さないだけの違いで、その破壊力は核兵器に劣りません。一個五〇円から三〇〇〇円くらいでできるというブラスティック製の地雷は、この一〇年間に世界各地の民族粉争で一億個も使われ、いまだに週に五万個くらいは埋められていると言われているわけです。一般市民を殺傷し続けているということです。(『憲法九条は国際政治に無力か』、弓削達著、かもがわ出版 、1996年、p54〜55)
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