2022年7月31日日曜日

徒(いたずら)に競ったりしないこと

 日本の古典と言えば、『徒然草』とか『枕草子』、『源氏物語』などが有名だが、『徒然草』や『枕草子』は、一つ一つの段(文章)がバラバラで、脈絡のないメモの集まりのようなものあることを、『思考を鍛えるメモ力』(齋藤孝著、筑摩書房、2018年)で初めて知った。「おそらく『枕草子』 も今でいう日記やブログ風のもので、清少納言が思いついたことを書きつけていったのだ」(『思考を鍛えるメモ力』、 p 168)というのだ。
 そう言えば、日本の古典には日記文学なる範疇の作品もあった。調べてみると、「土左日記」を祖とし,「蜻蛉日記」「紫式部日記」「更級日記」など平安女流の作品があった。日記も、考えてみれば、一つのメモ帳のようなものだ。メモも、それなりに集まれば、一つの作品としての価値を持つということであろう。
 古典『徒然草』からの言葉「人としては善にほこらず物と争はざるを徳とす。他にまさることのあるは大きなる失なり。(兼好法師)」が朝日新聞(2022年7月27日)のコラム「折々のことば:鷲田清一著」に紹介されたいた。この言葉の鷲田氏による解説を読むと、全く古びた様子はなく、「徒(いたずら)に競ったりしないこと」など、現代のわれわれの生き方を問われているようで、古典の力強さを感じさせられる。
 自分の長所を誇ったり人と徒(いたずら)に競ったりしないこと。人より優れてあるのはむしろ大きな欠点だと、法師は説く。格式の高さや才能の豊かさなどを意識する姿はなんとも見苦しい。真に優れた人はおのれが欠くところを知っているので、慢心することがないと。比較ということが嫉妬や羨望(せんぼう)を促し、自意識を煽(あお)って、人としての品位を落とす。『徒然草』(小川剛生訳注)から。(「朝日新聞、2022年7月27日」より)

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