そう言えば、日本の古典には日記文学なる範疇の作品もあった。調べてみると、「土左日記」を祖とし,「蜻蛉日記」「紫式部日記」「更級日記」など平安女流の作品があった。日記も、考えてみれば、一つのメモ帳のようなものだ。メモも、それなりに集まれば、一つの作品としての価値を持つということであろう。
古典『徒然草』からの言葉「人としては善にほこらず物と争はざるを徳とす。他にまさることのあるは大きなる失なり。(兼好法師)」が朝日新聞(2022年7月27日)のコラム「折々のことば:鷲田清一著」に紹介されたいた。この言葉の鷲田氏による解説を読むと、全く古びた様子はなく、「徒(いたずら)に競ったりしないこと」など、現代のわれわれの生き方を問われているようで、古典の力強さを感じさせられる。
自分の長所を誇ったり人と徒(いたずら)に競ったりしないこと。人より優れてあるのはむしろ大きな欠点だと、法師は説く。格式の高さや才能の豊かさなどを意識する姿はなんとも見苦しい。真に優れた人はおのれが欠くところを知っているので、慢心することがないと。比較ということが嫉妬や羨望(せんぼう)を促し、自意識を煽(あお)って、人としての品位を落とす。『徒然草』(小川剛生訳注)から。(「朝日新聞、2022年7月27日」より)
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