古い雑誌『改造』(1950年4月)の中に幸徳秋水の「獄中書簡」を見つけたので、ちょっと読んでみたら、堺利彦宛の「二年目に君に書く。嬉しくて堪らぬ。尚、接見・通信禁止中だけど、緊要の件で特に願ったのだ。・・・」(明治四十三年十一月八日、p 191)というところを発見して驚いた。よくも、死刑宣告を受けた身でありながら、「嬉しくて堪らぬ」といった心境になれるものだと、その精神力に驚いたのだ。
実は、大逆事件の首謀者として捉えられた報徳秋水は、明治四十三年の六月一日から翌四十四年の一 月二十四日まで市ヶ谷富久町の東京監獄につながれていた。そこで死刑の宣告を受けてからも、獄外の家族・友人・同志たちに通信を書き綴っていたのだ。
明治四十三年十一月十日堺利彦宛の書簡(p 192)には、「君の健康はどうか。生活の方針は定まったか」という友への気遣いと「考えれば考えるほど宿命論の信者になる。遺伝の因と境遇の縁とで作り出す運命という大波には、意志の自由も力もあったものではない。ただ一片の木葉の漂うに似て、相似たりだ」弱音にも似た心境が綴られていた。て掃除された。「生活の方針は定まったか」という言葉には、自分が問われているような気がして、ドキリとした。今の自分に一番必要なことかもしれない。
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