記事の冒頭から「戦争の帰結がどうあれ、この先に待つのが一層分断を深めた世界であることを私たちは覚悟しなければならない」と書き、対立の構図が一層深まるであろうことを予想している。そこで気になったことは、「ウクライナ危機が世界に教えたことの一つは、中国の米国への不信の抜き差しならない根深さだ」として、対立の構図を抜き差しならないものにしている原因に「中国の米国への不信」を挙げている点だ。だからであろう。「ウクライナの悲劇をアジアで繰り返さぬために米中と地域諸国に今こそ求められる」ことに関しては、「互いの意図を見定め、緊張をコントロールするための冷静で重層的な努力だ」と、抽象的で、なんとも歯切れが悪い。
1966年に行われてた第三回科学者京都会議に参加した憲法学者が、会議の感想を次のように語っていた。
一九六三年八月に成立した部分的核実験の停止条約がかえって、米ソ両国内における地下核実験を促進することになり、新しい小型の核兵器製造の競争を激烈ならしめて、通常兵器とあんまり違わないような核兵器で局地戦争が行われる危険が増大しているというようなことも教えてもらいました。しかも、そういうあぶない方向へ進むのを止める方法は、国家間の相互信頼関係を強めていく以外にはないというのです。つまり、お互いが相手を疑ってかかる限りは、いくら軍縮協定などができても駄目だから、とにかく相手国を信頼して、相手国が軍備を拡張しないであろうという方へ賭けていくことが、平和への道だということです。(『現代の対話』、末川博他著、雄渾社、1966年、p 186)この科学者が示してくれた「平和への道」は、日本国憲法が指し示している道でもある、と語っている。
世界平和は相互信頼の上に築かれるという意味においては、日本国憲法の前文が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」上で平和国民たるべきことを誓うているのは、実に適切で大事なことであると言わねばなりません。すなわち、この規定は、現実の合理的政治性を持っているといってよいのであって、今度の科学者京都会議でもそのことを声明しているのです。(同上、p 186〜167)
このように「平和への道」を考えていくと、 現実政治も、マスコミ論調も、「平和への道」から、どんどん離れていってしまうように思えてくる。「平和への道」は「国家間の相互信頼関係を強めていく以外にはない」とすれば、その道をいくしかない。
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