2022年6月28日火曜日

「色即是空」、「1=0」の世界

 「聖なる時間」というものを考えていたら、山間の爽やかな朝の空気に触れているときも、「聖なる時間」と言えるのではないか、と思えてきた。さらに想像が膨らんで、仏教の真髄は「1=0」と言った人のことを思い出した。
 般若心経の「色即是空」は有名だが、1は、般若心経の色の世界で、0は、「空の世界」のことだった。その程度の理解だったが、「聖なる時間」というものを考えている過程で、新たな解釈に気がついた。どういうことか。
 0という「空の世界」はまた、無限の世界を持つ、つまり、「永遠(悠久)の時間」を生きることができるような、そんな世界である。1という「色の世界」はまた、「有限の時間」を生きている、そんな世界である。
 従って、「色即是空」の世界、「1=0」の世界というものは、「有限の時間」を生きながら、同時に「無限の時間」、「永遠(悠久)の時間」を生きることができるようになった状態であろう。
 では、「色即是空」の世界、「1=0」の世界というものは、具体的にどんな心の状態を言うのだろうか。
 それは、現在の心の状態と比較すれば良い。現在は、具体的に先が見え、せいぜい長くて20年生きれればいい、などと考えてしまう。これでは、とても「永遠(悠久)の時間」を生きているとは言えない。だから、「色即是空」の世界、「1=0」の世界というものは、先のこと、死ぬ時のことなどあまり気にならない、いつ死んでもいい心の状態、死ぬことが気にならない状態ではないか。それが現在の結論である。
 しかし、まだ問題がある。どうすれば、「色即是空」の世界、「1=0」の世界に到達できるのだろうか、という問題だ。般若心経の教えを体得すればいいのだろうか。それ以外の、いわゆる「道」を極めるという、日本文化の教えを体得すればいいのだろうか。ゴッホや葛飾北斎といった芸術家の生き方にヒントがあるのだろうか。これから一生の課題になりそうだ。

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