「役に立つか」で命の選別をした時代の感性は恐らく今も消えていない。先日、大阪地裁で同性婚を認めない法律は合憲とみなす判決があった。被告側の国の主張はさながら、結婚は子どもをつくる異性カップルのためのもので同性カップルには認めなくてよいというものだった。これでは、生殖という「生産」的行為に役立つか否かという視点で人々を分け隔てる言い分が通ってしまう。
国は、私たちに従順でよく殖える家畜のような生を期待しているのか。だとしたらこの言葉で締めくくろう。私の生きているうちに、みんなが人間になれますように。そして、人の生き方を分け隔てる言葉を聞かずに済む日がいつか来ますように。(科学史家)(朝日新聞、2022年6月23日)
ここで思い出したことは、博物館には、”役に立つ”とは正反対の”三つの無”という理念が根付いている、と、「無目的・無制限・無計画」を紹介していた朝日新聞コラムがあった。「郡司芽久のキリン解体新書 無目的・無制限・無計画!」(2020年5月13日)だ。このコラムで、”役に立たない”からと基礎研究を軽視してきた風潮に対し、「研究だって同じだ。将来どんな研究が重要になるかを知ることはできない。誰にでも価値がわかる重要な研究ばかりになってしまえば、いつの間にか、未曾有の事態に立ち向かえる科学者が絶滅してしまうことになるかもしれない」と警鐘を鳴らしていたのだ。このような、無目的・無制限・無計画、そして役に立つかどうかも分からない研究でも大切にされる、そんな平和な社会を築いていきたいものである。
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