2022年6月21日火曜日

安全保障のコペルニクス的転換

 政治の最大の課題は、国民の命の保障であり、そのために戦争を防ぐこと、起こさないことだと、何かで読んだことを思い出した。そういえば、日本国憲法前文においても、その最初に「われらとわれらの子孫のために、・・・・政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書かれている。
 今、まさに戦争が現実に起きているのだから、余計に政治の最大の課題が突きつけられていると言って良い。しかし、その方向は、残念ながら、ますます戦争の危険が増大する方向に向かっている。安保条約を前提にした軍事力を背景にしては、東アジアの平和共存などあり得ないからだ。そのことを60年も前に、すでに論述している文章を見つけた。

 今日の日本が単独で武力により隣邦を侵略するなどということを真面目に考えるはずは無い。米国と結ぶからこそ、中国にとっての脅威となるのである。「日本を攻撃すればアメリカが日本の後楯としてこれを黙視しないぞ」といって、「防衛のために虎の威を借りたつもりでいても、米国と軍事的に結びついているということ自体が、中国にとっては侵略の危険を感ぜしめるのである。だから、日ソ同盟条約を解消させるということにしても、中国との友好親善を深めるということにしても、日米間の安保条約を廃棄する方向へ一歩ずつ進むことを前提としなければならない。(『末川博随想全集・2』、栗田出版会、p 318

 しかし、残念なことでもあるが、安保条約の存在は、かつての天動説の如く信じられていると言って良い。しかし真実は、末川博士のいうように、「安保条約の存在」が平和を脅かしている、と私もそう思う。今こそ、安全保障のコペルニクス的な転換が必要なのである。

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