2022年1月28日金曜日

崇高な理想を棄てる憲法改定

  また、改憲論が叫ばれ始めた。また、というのは、「憲法改定論議が最近かまびすしいが、・・」(忘れかけていた人生の名言・名句』、森村誠一著、角川春樹事務所2008年)と書かれているように、憲法改定論議が繰り返されてきたからだ。あらためて、9条改定がどういうものなのかを、森村誠一氏の言葉を借りて考えたい。森村氏は、「アメリカの都合に合わせて国家の崇高な理想を棄てようとする憲法改定は、餌の前に尾を振る犬のように見えてならない」と次のように書いている。

 「人はパンのみにて生きるにあらず」(新約聖書 マタイ福音書四-四)という言葉がある。陽の光も浴びずに一生、檻の中でも餌があれば生存することはできる。だが、それは生きているとは言えない。餌という一種の人工呼吸器によって生存しているだけにすぎない。
 「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
 日本国憲法前文の第四項である。アルジェンティーナや檻の中とはまったく関係ないような文言であるが、国家の理念を宣言している格調高い言葉である。
 理念なき国家と国民は、古代ローマ市民のように堕落する。憲法改定論議が最近かまびすしいが、現実というよりはアメリカに同調して、日本の理念を棄てようとしているようにおもえてならない
「憲法は普通の法律とは全然ちがう。憲法とはたとえば、私の国はこういう顔をしているとか、こういう理想を持っているという決意表明でもあるのだから、現実にそぐわないところがあっても当たり前だとおもうんです。これは国が目指す方向、理想を表明したものだから、現実にそぐわないから現実に合わせましょうという、こういうのを普通は堕落と言うんです。理想を放棄しようとするのですから堕落でしょう。(中略)憲法を変えるということ自体、まちかっていると私はおもいます」田中優子氏(法政大学教授)
 この言葉は、まさに憲法の日本の名誉にかけた崇高な理想宣言を的確に衝いている。
 これを現実に合わないという目先の理由から廃棄することは、聖書で言うパンのために国家の名誉をかけた理想を棄てることである。
 私たちは敗戦後、国家の独立を奪われ、敗戦国の汚名のもと、「陽の光も浴びずにうずくまっていた」ことを忘れてはならない。理想を棄てるということは、パンのためにうずくまることである。アメリカの都合に合わせて国家の崇高な理想を棄てようとする憲法改定は、餌の前に尾を振る犬のように見えてならない。(上同、p 237、協調は筆者)

 さらに大切な視点は、「九条を取り払うことが戦争をしやすくするシステムヘの改造である」点である。真の平和が、ますます遠のいてしまうことである。なぜなら、「真の平和とは、単に戦争がない状態ではない。戦争ができないシステムが完全に保障されていることをいう。憲法九条の改定、あるいは廃棄は、その保障を取り除くこと」(上同、p 257)だからである。

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