2022年1月13日木曜日

百年後の日本から今を考える

 半藤一利さんの著書『漱石先生お久しぶりです』に、「百年単位で考える」という項目がある。そこに、百年を一世紀として考えることは、明治になって西暦が入ってきてからのことで、日本人には馴染みが薄い。そのためか、百年単位の長期スパンで物事を考えることに弱い。しかし、目先のことばかりにとらわれず、長いレンジで物事をみることが大切だ、とあった。
 英国の文化思想家ローマン・クルツナリックさんも、朝日新聞(2022年1月1日)で、「私たちの関心は『今、ここ』だけに集中し、未来を見据えてなすべきことをじっくりと考える『長期思考』が欠けて」いると述べていた。だから、「20××年の未来から考えよう」と提起していた。
 そこで、百年後の日本を考えてみた。「米軍の戦闘機が自由に飛び交い、その合間を飛ぶように、民間機が小さくなっている。さらに、あいも変わらず、戦闘機の爆音に悩まされ、低空飛行に怯える状況が後を絶たない日本」、そんなA案と、「軍事基地のない、名実ともに日本国憲法が遵守された平和で豊かな日本」、そんな B案である。私なら当然、
 B案だ。今、敵基地攻撃能力が必要と考えている方も、百年後まで必要とは考えていないのではないだろうか。
 しかし、一度憲法九条の改定を選んでしまったら、もとに戻ることは相当困難にあるであろうし、何よりも、日本、あるいは世界の破局に向かって加速されるのが怖い。だからこそ、B案のためには今、何が大切かを考えていきたいものである。昨日書いた破局的事態の現実化を防ぐために」は、この一つの方策である。

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