1945年3月10日、東京大空襲があった。B-29全334機は、東京に焼夷弾の絨毯爆撃を行い、死者は10万を超えたと言われている。それで東京は焼け野原になってしまったが、その後空襲は地方に及び、日本の主要都市は、ほとんど焼き尽くされてしまった。『ぼくが見た太平洋戦争』の著者宗田理さんは、このような日本全土に及ぶ空襲を「計画的な無差別爆撃」と表現していたが、正に日本版ジェノサイドであろう。確かに、広島と長崎に落とされた原爆も、ジェノサイドだが、日本全土に及ぶ空襲も、アウシュヴィッツや原爆に匹敵するジェノサイドそのものである。『ぼくが見た太平洋戦争』で紹介されていた1945年5月前半の空襲の記録を読み、その思いを強く持った。
五月四日(金曜日) B-29四十九機、九州の航空基地に来襲。別の十五機は、関門水域に機雷を投下。
五月五日(土曜日) B-29五十二機、広島県呉方面に来襲。別の五十七機は、九州の航空基地を爆撃。
五月七日(月曜日) B-29四十一機、九州の航空基地に来襲。
五月八日(火曜日) P-51戦闘機六十五機、千葉県の航空基地、軍需工場を銃撃。
五月十日(木曜日) B-29三百七十九機、岩国、徳山、呉、松山、九州などを焼夷弾爆撃。
五月十一日(金曜日) B-29九十三機、阪神地区に来襲。神戸、芦屋を無差別爆撃。別の五十八機、九州地方を爆撃。
五月十三日(日曜日) アメリカ艦載機九百二十機、九州南部に来襲。航空基地を爆撃。
五月十四日(月曜日) B-29四百八十機、名古屋に来襲。(『ぼくが見た太平洋戦争』、p 63〜64)
アウシュヴィッツの悲劇は、遺跡としてその惨事を語り続けてきたし、これからも語り続けるであろう。しかし、空襲の惨事は、遺跡として残されていない。だからこそ、加害の歴史を忘れてはいけないように、空襲の惨事も、語り続けていく必要がある。
0 件のコメント:
コメントを投稿