憲法改正限界説を前提とする場合、天皇主権を基本とする大日本帝国憲法から国民主権を基本とする日本国憲法への改正は、憲法改正の限界を超える。しかし、天皇主権と相容れない「1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言」受諾は天皇による国民への主権の移譲の同意・承認であり、この時点で国民主権と矛盾する限りで大日本帝国憲法は効力を失うという法的意味の「革命」があったといえる。(「ウキペディア」より)しかし、八月革命説を取り上げた論調はあまり見られなかった。ところが、立花隆さんが「1945年革命」説を唱えていたのを最近知った。1945年の「社会的システム転換」は、1868年ん明治維新と、「それに並ぶくらい、あるいはそれ以上といっていいくらい大きな社会的システム転換であった一九四五年革命」(『イラク戦争・日本の運命・小泉の運命』、立花隆著、講談社、2004年、p300)と書いているのである。「一九四五年 大日本帝国→いまの日本」だと。
革命というと、あまり良い印象を持たない人もいるかもしれない。しかし、フランス革命が象徴しているように、民衆にとって、あるいは市民、国民にとっては良きもの、虐げられたものの解放といったイメージの方が真実に近い。一九四五年の改革だって、戦前、戦中から比較すれば、全くの革命であり、臣民(君主国において,君主に支配されるものとしての人民。旧憲法下において,天皇および皇族を除いた国民)からの解放であった。だからこそ、憲法を、しかもその中心部分を改革しようという企ては、一九四五年革命を後退させるものである。こうした認識が欠けている向きがあるように思える今こそ、一九四五年革命の意義を再認識したいものである。
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