ところで、「平和」とは、戦争のない状態とかいって、曖昧な概念である。それに対して、見田宗介さんが社会が目指すべき世界について、「異質なもの多様なものたちの生々として共存する世界」、「戦争と憎悪と抑圧のない世界」「異質なもの多様なものの相補し交響する世界」と表現していたが、これは、「平和な社会・世界」の定義そのものであろう。
また、見田宗介さんは、平和な社会という目的に対する手段も、抽象的だが、単なる「暴力的な否定という仕方ではなく、(人間の中の自然の可能な力を肯定するということを通して)異質なもの多様なものの相補し交響する世界の胚芽を、至るところの今ここに生きられる仕方で実現していく」と平和的な方策を述べている。
ここで言っていることを私なりに解釈すると、人間の可能な力の肯定、つまり、個々人の意欲に支えられた「異質なもの多様なものの相補し交響する世界の胚芽を」、至る所に育てていく過程で、戦争とか、憎悪、抑圧などは自然に”追いやられ”てしまう。戦争とか、憎悪、抑圧の主体が自壊してしまうような世界こそが平和な世界ということもできる。
わたしたちにとって野口晴哉は、 ジョン・レノンやボブ・ディランやカルロス・サンタナの歌と遥かに呼応する運動のうねりの中で、全世界の異質なもの多様なものたちの生々として共存する世界を実現するための、方法の夢中の模索と探求という途上で出会われた。
戦争と憎悪と抑圧のない世界を、 暴力的な否定という仕方ではなく、(人間の中の自然の可能な力を肯定するということを通して)異質なもの多様なものの相補し交響する世界の胚芽を、至るところの今ここに生きられる仕方で実現していくのだという方法論の、確実な一角として探り当てられていた。(「人間について」『定本見田宗介著作集 10』、岩波書店、2012年、p15)
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