『最後の詩集』(長田弘著、みすず書房、2015年)の中に、心に響いた詩があった。まず、「川の音。山の端の夕暮れ。/アカマツの影。夜の静けさ。/毎日の何事も、詩だった。/ 坂道も、家並みも、詩だった」というところが、詩的なイメージが、詩視的(造語) なイメージと重なって、なんとも心地よかった。そして、「平和というのは何であったか。/・・・・/平和は詩だったのだ、/どんな季節にも田畑が詩だったように」ときた。 素晴らしい。
そして、後半にある「死も、詩だった。無くなった、 /そのような詩が、何処にも。」の「そのような詩」とは、どの詩を指しているのだろう。「死も」だから、これ以前の全ての詩を指しているように、私には思えた。
詩のカノン昔ずっと昔ずっとずっと昔、川の音。山の端の夕暮れ。アカマツの影。夜の静けさ。毎日の何事も、詩だった。坂道も、家並みも、詩だった。晴れた日には、空に笑い声がした。神々の笑い声は平和な詩だった。平和というのは何であったか。タヒラカニ、ヤハラグコト。穏ニシテ、變ナキコト。大日本帝国憲法が公布された同じ明治二十二年に、大槻文彦がみずからつくった言海という小さな辞書に書き入れた平和の定義。平和は詩だったのだ、どんな季節にも田畑が詩だったように。全うする。それが詩の本質だから、死も、詩だった。無くなった、そのような詩が、何処にも。いつのことだ、つい昨日のことだ、昔ずっと昔ずっとずっと昔のことだ。
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