2021年11月19日金曜日

平和は詩だったのだ

 『最後の詩集』(長田弘著、みすず書房、2015年)の中に、心に響いた詩があった。まず、「川の音。山の端の夕暮れ。/アカマツの影。夜の静けさ。/毎日の何事も、詩だった。/ 坂道も、家並みも、詩だった」というところが、詩的なイメージが、詩視的(造語) なイメージと重なって、なんとも心地よかった。そして、「平和というのは何であったか。/・・・・/平和は詩だったのだ、/どんな季節にも田畑が詩だったように」ときた。 素晴らしい。
 そして、後半にある「死も、詩だった。無くなった、 /そのような詩が、何処にも。」の「そのような詩」とは、どの詩を指しているのだろう。「死も」だから、これ以前の全ての詩を指しているように、私には思えた。
詩のカノン 

昔ずっと昔ずっとずっと昔、 
川の音。山の端の夕暮れ。 
アカマツの影。夜の静けさ。 
毎日の何事も、詩だった。 
坂道も、家並みも、詩だった。 
晴れた日には、空に笑い声がした。 
神々の笑い声は平和な詩だった。 
平和というのは何であったか。 
タヒラカニ、ヤハラグコト。 
穏ニシテ、變ナキコト。 
大日本帝国憲法が公布された 
同じ明治二十二年に、 
大槻文彦がみずからつくった 
言海という小さな辞書に書き入れた 
平和の定義。平和は詩だったのだ、
どんな季節にも田畑が詩だったように。 
全うする。それが詩の本質だから、 
死も、詩だった。無くなった、 
そのような詩が、何処にも。 
いつのことだ、つい昨日のことだ、 
昔ずっと昔ずっとずっと昔のことだ。

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