2021年11月13日土曜日

選挙がすんだ翌日から奴隷になる

 総選挙が終わってみたら、予想に反して自民党が善戦し、野党共闘をしたにもかかわらず、民主党が後退してしまった。その原因として、野党共闘が槍玉に挙げられ、投票率の低さに表れている政治的無関心に向けられることはなかった。しかし、丸山眞男の「政治的無関心と逃避」という論文を読んで、政治的無関心層の多さにこそ、目を向けれれるべきであると気づかされた。政治的無関心といった生活態度が「国民大衆にびまんしたら、民主政治は立ちゆかない —— 民主政治どころか国民の民族的な生命力自体が枯れて」(『丸山眞男集別集第2巻』丸山眞男著岩波書店、2015年、p57)しまうという。あり得る話だ。
 この論文には、政治的無関心がなぜ生まれるか、が簡潔に説明されていた。そして、驚いたことに、ルソーが今日の社会を予言していたことだ。ルソーは、「イギリス人は自分を自由だと思っているが、彼等が自由なのは選挙の日だけで、選挙がすんだ翌日から奴隷になる」[『社会契約論』第三篇第一五章]という言葉を残していたのである。この中の、「選挙がすんだ翌日から奴隷になる」という言葉を胸に手を当てて考えてみたいものである。

  われわれの生活環境がすべてこういう政治に対する消極的受動的態度を培養するようにできていることは否定できないと思います。第一、日常生活がますます多忙になり職場での労働で人々が神経をすりへれて、政治に関心をもつ時間的余裕も心理的余裕もないというのが大多数の人々の状態です。しかも他方、大衆の娯楽機関や観るスポーツなど、政治などのメンドクサイことから逃避させる仕組はいよいよ発達します。
 そこへもって来て、大きな政治問題がますます自分の手のとどかない国際情勢によって左右され、いくら政治に関心をもってもどうにもならないという絶望の気分がひろがって行きます。こうして、かつてルソーがイギリスの民主政治をふうしした言葉――「イギリス人は自分を自由だと思っているが、彼等が自由なのは選挙の日だけで、選挙がすんだ翌日から奴隷になる」[『社会契約論』第三篇第一五章]という言葉がいよいよ実感をもって現在の大衆民主政の時代に迫って来るようになったのです。(上同、p52)

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