歴史学者の家永三郎さんが、「コペルニクス的転回――新憲法の意義が理解できなかった私」(『わたしが思うこと』、家永三郎著、民衆社、1995年、p56~57)という文章の中で、「日本国憲法制定の当初には、この憲法の画期的意義を理解することができなかった。憲法よりも、降伏直後に新聞紙法・出版法などの治安立法が廃止されたのと、帝国陸海軍が消滅し、微兵制のなくなったのとが、あまりにもうれしかったため、それらが憲法のレベルで保障されたことの画期的意義や、そのほかにも明治憲法期に思いもよらなかった新しい理念が豊富に盛りこまれていることも、よくわからなかった」と書いている。それだけでなく「一流の憲法学者でも、必ずしも新憲法の画期的意義をすみずみまですぐに理解していたとはいえないように思われる」と書かれていた。
それでは、多くの、普通の日本人にとっては、なおさら、新憲法の意義など理解されていないのかもしれない。ということは、そのような状態で、なんとなく、憲法”改正”なら、と、憲法改定に賛意を示している人がほとんどではないか、と思うようになった。つまり、積極的、意識的な改憲論者は少数で、改憲論者の多くは、投票行動の浮動票のように確固とした意志などなのかもしれない。
家永さんの同じ文章の中で、憲法三六条の「教育を受ける権利」を例に、その意義を、「明治憲法時代に教育を受けることは、『忠良ナル臣民』となるための日本人の義務とされていたのであった。それが日本国民各個が人間として成長するのに必要な教育を受ける権利として保障されることになったのだから、まさにコペルニクス的転回といわなければなるまい」と説明していた。明治憲法と対比されることによって、憲法三六条「教育を受ける権利」の意義が、とてもよく理解できた。改めて、憲法の画期的意義を理解する必要があるのかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿