丸山眞男さんの言葉に「生命・自由および幸福追求の権利は私たちが何ものにも譲り渡すことのできない神聖な基本権であり、そもそも政府の存在理由がなによりそうした基本権の保障にあることは、アメリカ独立宣言以来、ほぼ二百年を経て世界の常識となっております」(『丸山眞男集別集 第2巻』、岩波書店、p261)というのがある。一九六〇年代の発言で、政府の存在理由が基本的人権の保障にあることは世界の常識だというのだ。しかし、現在に至っても、少なくても日本では常識にはなっていない。
それどころか政府は、相変わらず国民目線よりも、アメリカ目線、官僚目線、大企業目線を優先している。その典型は、国会開催要求を跳ね除けるなどの国会軽視であろう。解釈改憲によって進められてきた自衛隊の強化も、度重なる県民意思を無視して進められてきた辺野古米軍基地建設も、結局は米政権の要求によるものであることは自明のことになっている。
なぜ、こうも長年に渡って国民軽視の政治が続けられてきたのか。これでは、いつ、時限爆弾が爆発するような事態になるかわからない。世界には多くの核兵器と原子力発電所があるからだ。これまでの政府の取り組みは、時限爆弾の針を進めているようにしか見えない。今必要なことは、時限爆弾の針を止めるか、針の進行速度を遅らすことである。日本国憲法を守り、その真価を発揮させることは、その重要な一歩になるであろう。
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