作曲家の池辺晋一郎さんが、興味ある発言をしていた。《「九条の会」での活動も。政権への意見も躊躇しません》が、との問いに対し、「言いたいことを隠さず言うことは、僕にとっては目的じゃなく、僕という音楽家が在り続けるために必要なプロセスだから。ただひとりの人間として楽しんでいることを邪魔されたり、管理されたり、もしくは支配されたりすることに、僕は強く抵抗する。作曲という表現活動の軸を他ならぬ僕の中に築くため、言うべきことを言い、書くべきものを書く」(朝日新聞コラム「(語る 人生の贈りもの)池辺晋一郎:18 未知の世界へ、心震わせたい」、2021年11月26日)と。
ここのところを読んだ時、表現活動をしていても、言いたいことも言わない人たちのことを考えた。言いたいことを言わなくても、「邪魔されたり、管理されたり、もしくは支配されたりすること」はない、黙っていた方が、表現活動に支障がない、と考えているのだろうか、と。しかし、それでは、表現活動にとっては命とも言える事由の幅が狭められることになる。それに比べて、池辺晋一郎さんにとっては、抵抗すること、言いたいことを言うことも、表現活動の一環になっている。自由を謳歌している、と言っても良いくらいだ。
日本人は、芸能人に限らず、抵抗意識が弱い、と言われている。自民党政権は、国会軽視にはじまって、やりたい放題で、自殺者まで出した元凶の政治家でも、再選されて政治活動を行なっている。そのような政治家が、のうのうとしていられる日本なのだから、やはり抵抗意識が弱いと言われても仕方がない。ということは、それだけ日本人は「個の意識」が弱い、「表現意欲」が弱い、と言うことだろうか。黙っていては、いつかは自らの表現活動を「邪魔されたり、管理されたり、もしくは支配されたりする」こともありうることを肝に銘じ、「個の意識」と「表現意欲」に磨きをかけたいものである。
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