「殺す側の論理」を取り上げたばかりだが、その例証とも言える焼夷弾のことが新聞小説で取り上げられていた。この小説で「焼尽」という言葉があることを知ったが、焼夷弾は「市街地の焼尽と民間人の殺傷のために」作られた専用の爆弾だという。しかし、この表現より、「市街地の住宅や民間人を焼き尽す」という方がリアルで真実味を帯びてくる。「人間とはそういうことをするものであるか」とあるが、<冷徹に「市街地の住宅や民間人を焼き尽す」準備ができる>のが「殺す側の論理」であろう。
「それにしても部長、あの焼夷(しょうい)弾というのは始末の悪いものですな」と防空警戒隊の男は言った。「小(ち)っこいのがばらばらたくさん降ってきて、一本ずつが炎を吹いて四方八方にまき散らす。バケツの水でもホースの水でもとてもぜんぶは消せません」
「中身はゼリーにしたガソリンだよ。それに点火した上で飛び散るように作ってある」
(中略)
焼夷弾は対民家用の爆弾である。鋼鉄製の軍艦に落としたところで高圧のホースから海水を噴射すれば瞬時に消せる。
日本の家屋が木と紙からできていることを敵は知っていた。関東大震災の家屋の被害も倒壊より火事が主体だった。
市街地の焼尽と民間人の殺傷のために専用の爆弾を作る。人間とはそういうことをするものであるか。(『また会う日まで』、朝日新聞、2021年10月10日)
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