2021年10月15日金曜日

探求にあたいする実のある世界

 最近ヘーゲルの解説書を読んでいるが、また感動的とも言える解説に出会った。政治の世界での「言葉の信頼」が失われてきているからかもしれない。一度発言した内容を、軽々しく撤回するようなことが目立つようになったからだ。
 それに、「現実の世界観念の世界も、ヘーゲルには、探求にあたいする実のある世界」とか、「ヘーゲルはそのことばをためらいなく追いかけ、(思索の結果を)おもてに出す」といった素敵な言葉が刺激的だった。少しでも追いかけていきたいものである。
 ことばへの信頼、ことばとの安定した関係は、世界への信頼、世界との安定した関係と表裏一体をなす。
に見えた。むろんそこには幾多の不安、無秩序、悪、不明、混沌の素材がふくまれてはいるが、それらをふくみつつ、世界はその根本において理性の貫徹する充実した光明の世界であった。哲学的思索のはてに世界が空虚な深淵としてたちあらわれるかもしれぬ、――そんな想念がヘーゲルの脳裡をよぎることなど、およそ考えられない。思索がどんなに難渋しても、そこに思索にあたいする具体的で実質的な世界があることは、うたがわれることがなかった。
 その実質的な世界のすみずみにまでことばは行きわたっている。そして、世界のありかたをあきらかにしようとすると、思考のなかにことばが自然にたちあらわれ、思考と思考をつないで行きかう。ヘーゲルはそのことばをためらいなく追いかけ、おもてに出す。おなじことばが講義では音となってあらわれ、著作では文字となってあらわれる。ことばには世界の意味がこめられていて、世界が具体的で充実しているのに見合って、ことばも具体的で充実した存在であった。
 そういう安定した世界やことばとの関係は、「古典 て名づけていい関係である。ヘーゲルは古典的な世 ささえられて、古典的な言語観を生きていた。(長谷川宏著「ヘーゲルの言語観」『ヘーゲル : 時代を先駆ける弁証法』上妻精 [ほか] 編、情況出版,、1994年、p205)

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