日本経済新聞で連載されている「私の履歴書」で、誰だったかが、「今でもファラデーの『ローソクの科学』を読み返している(読み返すときがある)」と言っていた。なぜかその部分だけが頭に残ったので、ちょっと読んでみた。そして、「製造技術の進歩のなかで、また、要求される結果をうみだすためのもっとも適切な方法の工夫のなかで、・・・」というところ、特に「要求される結果をうみだすための」が心のアンテナに引っかかった。
なぜだろう、と思い、その正体を探るべく、こうして書き始めた。安全保障の問題の何かを解決してくれるように思いながら、その何かがまだはっきりしない。安全保障環境の悪化を持ち出し、そうした状況から日本を守るには、防衛予算をもっと増額し、対処しなくてはならない、という主張があるとき、「要求される結果」とは何だろうか。
この場合の「要求される結果」とは、防衛予算の増額であり、抑止力の向上ではないだろうか。しかし、日本の安全保障というのを考えたときの「要求される結果」とは、そういうものではないではない。本当の「要求される結果」とは、近隣諸国との対立を解消して、真の外交(交易)を実現することであり、戦争の脅威をできるだけ遠くに追いやることであり、結果として、日本国憲法の”理想の実現”であるべきである。
現在の安全保障政策は、戦争を防ぐという建前で、戦争の脅威を引きつけてきているのではないか。ここでの「要求される結果」には、平和などない。平和を守る手段が平和を破壊する手段でもあるからだ。ようやく疑問が解けた。本当の「要求される結果」とは、日本国憲法の”理想の実現”であったのだ。
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