新年を迎え、初めての題材にカントを選んだ。「哲学における永遠平和条約の締結が間近いことの告示」という論文が読みたくて、カント全集を借りていたからでもある。第一章が「永遠平和が近づいているということへの明るい展望」で、その小項目が「生きる自然としての人間の最低段階から、最高段階、つまり哲学、にいたるまで」だった。
ここまで読んで、題名が長いことが気になった。そして、「題名をつけるということで三分の一以上は書いた、ということになります。いい題名とは、大変情報量が豊かなものなんです。(『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』、文学の蔵編、本の森、P12)という言葉を思い出し、カントの題名は、情報量が豊かないい題名なのだろう、と思った。
カント論文の読み方も、そこで論じられていることがわかればいいのであって、難しい言葉があっても、その言葉に拘泥しなくてもいい。ここで(小項目の部分)言わんとしていることは、「生きる自然としての人間の最低段階」の説明である。それを説明すると、生命というものを「刺激的諸力に反作用する能力(生命の能力) 」と捉え、「釣合いのとれた刺激が体内に、過度の作用も、極端にわずかな作用をも、生み出さない場合、その人間は健康(元文は傍点)である」。逆に、刺激の作用が逆になると体内に腐敗が生じ、「腐敗という現象が死から、そして死の後に出現するのではなく、死が死に先行する腐敗から生じるに違いない」と説明している。
結論部分で最後に「自然のこの活動性とその刺激は実践的なものではなく、ただ機械的であるに過ぎない」(p238)という部分が興味深い。人間の最低段階では実践的なものが関係しない、ということであろう。
「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
2021年1月1日金曜日
生きる自然としての人間の最低段階
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿