2021年1月8日金曜日

再軍備は言葉のごまかしの積み重ね

 今では、なんの躊躇いものなく「防衛装備品」といった言葉が使われている。憲法との関係で、そうした言葉を使わざるを得ない、というのが現実である。しかし、ごまかしであることには違いない。恐ろしいのは、違和感のある言葉でも、なんの疑いもなく繰り返し使われてくると「そんなものか」となんの疑いもなく受け入れられてしまうことだ。
 こうした言葉に違和感を抱くのは私だけか、と思っていたら、「ごまかしと言い換えの自衛隊四〇年」(『日本国憲法 平和的共存権への道 その世界史的意味と日本の進路』星野安三郎・古関彰一著、高文研、1997年)という項目を見つけた。それは、「日本の再軍備は、言葉のごまかしの積み重ね」なんだ、と次のように批判している。

星野 自衛隊は、産みの親も育ての親も米軍でしたから、国民に支持される基盤がない。そこから、「特車」のように言葉でごまかすことが必要になったと思うのです。
古関 今でも、歩兵部隊といわずに「普通科」といいますね。砲兵部隊は「特科」ですか。
「陸上自衛隊組織図」より
星野 そうそう。それから朝鮮特需、ベトナム特需なんていったけど、あれは、軍需(軍事需要)、『戦術』(戦時需要)なのよ。それを「特車」の言いかえと同様、「特需」といった。それからまた「自衛力」とか「防衛力」という言葉を発明する。あるいは「戦力なき軍隊」、つまり日本の再軍備は、言葉のごまかしの積み重ねなんです。それをちゃんと学生たちは批判しておったわけよね。
古関 ただそのごまかしごまかしが、ある意味では、既成事実を四〇年積み重ねて定着してしまったわけですね。しかし、定着したとはいっても、なにしろその時どきのアメリカ政府の要求を、その日暮らしでとりつくろってきたから、非常に弱い部分を持っている。(同上、p23〜24)

替え歌による自衛隊批判(「同上、p23」から編集して紹介)

星野「防衛二法・自衛隊法が発足したのは一九五四年ですけれども、僕が平和憲法の未来に確信を持ったのは、発足した翌年ころ、学生たちが自衛隊批判の替え歌をつくってコンパでうたっていたのを聞いたときですね。「オタマジャクシはカエルの子ナマズの孫ではないわいな それが何より証拠には やがて手が出る足が出る」という、あれの替え歌

*自衛隊は軍隊だ お巡りさんではないわいな それが何より証拠には 道を聞いても知りません(学生作)

*特車というのは戦車です ハイヤーやタクシーじゃないわいな それが何より証拠には お客乗せずに武器載せる(学生作)

*護衛艦は軍艦だ 漁船や汽船じゃないわいな それが何より証拠には 雷魚獲らずに 魚雷撃つ(星野作)

*自衛隊は他衛隊 国民守るそれじゃない それが何より証拠には すべて米軍の言いなりだ(星野作)

*海外派兵は侵略だ 公務員の出張じゃないわいな それが何より証拠には 弾に当たって帰らない(星野作)

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