自衛隊の災害救助はまやかしだという考えを知って驚いた。そういえば、『新哲学入門』(板倉聖宣著、仮説社)に、たいていの人は、ものごとを根底から考え直すことをしない。「常識的な考え方があまりにも当然に思えて、そこから抜け出すことができないのです」(p111)とあった。自衛隊が災害救助をすることも、あまりにも当然すぎて、そこに疑問さえ持たなかった。それだけに、「自衛隊の災害救助はまやかしだ」という指摘には、本当に驚いた。
武井 旧「新左翼」と言うとおかしいですが、その人たちの中には、暴力革命の思想を聖典のように戴いている者もいますね。今でも、イラクの自爆テロを支持する声明かだされたりしている。
大西 そういう人たちは、「聖戦」という言葉に何か崇高なものがあると勘違いしているおっちょこちょいじやないか。自衛隊の海外派兵を「国際貢献」と勘違いして支持する人と同じと言えば同じだろう。川が氾濫したり、地震が起きた場合、警察だけでは間に合わないということで、自衛隊が国内でも「災害救助」の目的で派遣される場合があるが、あれもまやかしでね。災害救助隊を作ればいいものを、ごまかしているんだ。それでも、「自衛隊はなかなか役立つな」と勘違いする人は現れるからね。いずれにしても、本質が見えていない。(『大西巨人 抒情と革命』、 p60、強調は引用者による)
小田実さんも、次のように現実的な提案をしている。
自然災害にしろ、人工災害にしろ、災害が起こるとよく自衛隊の救援が要請されたり、実際に出動したりしますが、まず、こうした自衛隊に頼るかたちでの救援でない救援の体制を形成し、維持すべきです。
自衛隊の給水車が来てくれたことがありました。せっかく来てくれたことに対して私は文句をつける気はまったくないのですが、ただ、おどろいたのは、その給水車は鋼鉄製の重いものであった上にあまりにも容量の少ない小さいものであったことです。三重県久居市のものはタンク車の大きい容量のものでしたから、どうしてもその対比は目立ちます。それも道理、その小さな鋼鉄製(久居市のは、ただのジュラルミン製か何かのタンクです)の給水車をひっぱって来たのは巨大な兵員輸送車で、そのときには兵隊さんはそんなに乗っていませんでしたが、一目瞭然、判ったことは、その小さな給水車はもともとその巨大な兵員輸送車で運ばれる兵士たちへの給水のための給水車であることです。
自衛隊の元来は戦闘用のヘリコプターを買う一機分の値段で地方自治体の救援ヘリコプターは何機も買えることになる。この「平和主義」の選択を私たちがすれば全体ではるかに安上りに救援ヘリコプターの装備はできることになるとともに、社会の非武装化、非軍事化は強力に増加することになります。私はここで夢物語を話しているのではありません。「阪神・淡路大震災」での被災の体験に基づいて、きわめて現実的な提案をしています。『ひとりでもやる、ひとりでもやめる』、小田実著、p150~153、強調は引用者による)
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