2020年2月10日月曜日

戦争は終わっていない現実(終戦→敗戦)

 ベトナム戦争時の枯葉剤による影響が今も続いていることは知っていたが、日本軍が遺棄した毒ガスによる影響がこれほどのものとは知らなかった。このような、戦争は終わっていない、戦争の後遺症が残っている現実が有る限り、「終戦」という言葉は使えない。やはり「敗戦」が正しい。少なくとも私はそう考えるようになった。そういう意味でも、よく「戦後**年」と書かれることが多いけれど、ここは意識的に「敗戦後**年」と書く必要を感じた。(「だ・である調」がいいか、「です・ます調」がいいか、迷うところだが、自分の意思をはっきりさせたい場合は、「だ・である調」がいいような気がして、今回は「だ・である調」にしてみた


以下は、(https://www.miraiheiwa.org/blank-1)より引用
① 遺棄された経緯
 日中戦争以来、日本軍は中国を侵略し、中国東北部に軍隊を進めていました。そして、1925年にジュネーヴ議定書において、戦場での毒ガスの使用が禁止されていたにもかかわらず、ソ連との戦争に備えるために、毒ガスを製造し、配備していました。
 瀬戸内海の大久野島には陸軍の毒ガス製造工場、神奈川県の寒川には海軍の毒ガス製造工場がありました。こうして国内で製造した毒ガス兵器を中国などに配備し、実際に戦闘で使いました。中国東北部には化学兵器部隊(チチハルにいた516部隊が代表的)が配備され、大規模な演習が繰り返されました

 そして、日本敗戦前後の時期になると、それらの大量の化学兵器は、中国の大地に埋められたり、河川に投棄されたりなどして、組織的かつ秘密裏に遺棄されました。また、日本政府はそれら兵器の場所を特定することは難しいとして、除去などの未然防止に努めようとしません。そのため、中国国内には、今なお70万発以上の大量の遺棄化学兵器が存在しているといわれています。さらに日本国内でも、化学兵器が遺棄されました。

② 遺棄毒ガスによる被害
 これらの遺棄毒ガス兵器の存在は明るみに出ることがないまま、戦後、化学兵器であることを知らずに触れたり、晒されたりした多くの中国と日本の人々に甚大な被害を与え続けています。化学兵器による被害は、皮膚の糜爛(びらん)をはじめ、呼吸器・消化器・神経など全身に症状が及びます。

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