「平和と教育」という講演記録を読んでいたら、「水素爆弾の二つ三つも落されるならば、人間はもちろん、土地そのもの、国土そのものさえもうしなわれるかも知れない」という次のような文章に出会った。
人類はその文明の結果をもって、互に憎みあい、互に殺しあったし、また今も憎みあっており、また将来も憎みあおうとしておる。これは健全な人間の姿であるとはいえません。十九世紀末以来文明の行きづまり、近代物質文明の行きづまりということを、いろいろの人が論じましたけれども、第一次世界大戦を経、第二次大戦を経て、その行きづまりは、こんなに世界的規模において、こんなに深刻に現われている。もしも水素爆弾の二つ三つも落されるならば、人間はもちろん、土地そのもの、国土そのものさえもうしなわれるかも知れない。(「平和と教育」『矢内原忠雄全集 第20巻 時論 3』、矢内原忠雄著、岩波書店、1952年、p137、強調は引用者による)
このところを読んだとき、水素爆弾ではないが、兄弟分の原子力発電所の事故により、すでに失われた国土があるじゃないか、と思いがよぎった。チェルノブイリにあるゴーストターンや福島の浜通りにある帰還困難区域のことだ。チェルノブイリで原発事故があったとき、日本では、「日本の原発は大丈夫だ」と言われていた。しかし、事故が起きてしまった。あれだけの事故を目の当たりにしながら、「今度は大丈夫」とタカをくくって、再稼働に血眼になっている。町の大半が帰還困難区域になっている町もあるのだ。その現実は、日本人みんなが心に留め、二度とこのような場所を作らない、作らせない、という思いを共有しなければならない。「失われてしまったコミュニティも生業も含めて、町を完全に元通りの形に戻すことは、残念ながら不可能と⾔わざるを得ません。今できるのは、元の状態に少しでも近づける努⼒をすることです」という馬場有浪江町長の言葉が胸に迫ってくる。
米軍基地の問題も同じであり、今、この時も軍用機の爆音に悩まされている人たちがおり、そうした被災が何十年と続いている現実がある。そうした現実に思いを寄せることなく、ちょっとアンケートで安保条約はあったほうがいい、などと答えているのを民意と錯覚しているのだ。やはり、米軍基地があるゆえの現実も、日本人みんなが心に留め、なるべく早く米軍基地を撤去してもらい、二度とこのような新しい基地は作らない、作らせない、という思いを共有しなければならない。9条を国是とする日本に「軍事基地」は似合わないからだ。



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