2020年7月20日月曜日

国語と漢語とからなる高度な日本語教育を!

 書家の石川九楊さんのコラム「日本国憲法」を読みたくて借りた『石川九楊著作集別巻III』だが、これまた目を開かせられた評論(本居宣長から疑え —— 「神の国」「三国人」発言を超えて)に出会えた。最後に結論が書かれており、そこを読んだだけでも、著者のいわんとする真意は伝わってくるので、そこだけでも引用しておく。
 社会現象が、国語教育に関連しているらしいというのは、「そういうことだったのか」と合点がいった。

 これまで述べてきた論は意外な結論を導き出す。日本語には国語(平仮名語)の前提として漢語(漢字語)がある以上、国語教育を強めるとともに漢語教育を復活して、日本語の水準を高めることは、日本語と日本人に多大の益をもたらすとの。
 そう言えば、自分白身の経験から言っても、子供の頃から漢文教育を授けられ、漢詩、漢文に深く通じることができなかったことは大きな悔いとしてある。なぜなら大人になってからの付焼刃程度の漢文力では日本文学や日本史や日本文化の半分が暗闇のままで、いっこうに姿を現わさないからである。
 白川静の『字統』『字訓』『字通』が出版社の思惑を超える売れ行きを見、大人たちが教育テレビの漢詩講座を熱心に受講し、中年の男性が中国偉人伝記小説をベストセラーに押し上げ、子供たちは漫画で『三国志』や、「史記』の世界に触れている現在の文化状況は、いかに漢文教育が無自覚なまま切望されているかを証している。
 国語と漢語とからなる高度な日本語教育、国文と漢文の共同による日本文学、国史と漢史(東アジア史)を結合した日本史の再構築によって、日本の学問を再建する必要がある。
 なぜなら日本語の一方であり、根幹である漢語教育を疎かにすることは、日本語の衰退を招き、日本人が世界的水準で思索し、世界的に活躍する機会を奪う。知識人は歪んだ平仮名文化を自讃して自閉し、さらに現在のように平仮名・国語・国文教育まで軽視されれば、子供達は限りなく無文字に近い生活に堕ち、原始や野蛮に似た精神世界を生き始める。
 計算機や通信機の高度化(ハイテク)という仮面の背後で急速に進む大人の幼稚化、そして親殺しや.子殺し、事故のごとき唐突な刺殺事件、首狩りや人体損傷、剌青 —— これらはいずれも無文字時代における書字の代行であった —— の多発は、日本語の急速な劣化とともに生じている社会現象である。
 本居宣長を疑うこと。二百年にわたる本居宣長的なものの呪縛を切り、その外側の広々とした世界に出ること。それが二十一世紀の日本の思想にとって、また我々民衆の思考にとって必要なのである。(『石川九楊著作集別巻III』、p150〜151)

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