『サンデー毎日』で「世代の昭和史」という連載が始まった。その4回に「時代が作られるのは、様々な因子が絡みながらも、なぜ東條や東條の考えや組織が軸になったのかを考えてみたい。良識が次第に弱まるのには相応の理由があると思う」(保阪正康著「世代の昭和史」『サンデー毎日』、2020年7月26日号、p135)とあった。ここの「良識が次第に弱まる」というところに触発されて思い出したことがある。『暮らしの手帖』(2018年8-9月号)に掲載された武田砂鉄さんの次の言葉だ。
永井荷風は、軍国主義に染まった世の中について「変わりだした」のはいつかを振り返り、犬養毅首相が首相官邸で青年将校に暗殺された五・一五事件を挙げた。あらゆる出来事の萌芽は、始まった時には気付けない。(p141) なぜ、この文章を思い出したか。「良識が次第に弱まる」という現象も、時代が逆行しつつある「一つのバロメーター」になるのではないか、と思ったからである。
公文書の廃棄や改ざんは、良識があったら、とてもできないことである。逆に考えれば、公文書の廃棄や改ざんが公然となされ、常態化しつつあるのは、「良識が次第に弱まってきている」と考えられる。だからこそ、良識に照らしておかしいことは、徹底しておかしいと言い続けることが需要なのである。
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