昨日のブログを書いてから、金大中氏の「太陽政策」の根底にあったのは、「何か何でも戦争を避けたい、もう二度とあの内戦のようなことを繰り返してはならないという不退転の決意ではなかっただろうか。」(『朝鮮半島と日本の未来』、姜尚中著、集英社新書、p204)という言葉が頭から離れなかった。並並ならぬ気迫を感じたからかもしれない。それに比べ、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、」という日本国憲法前文の一節からは、気迫のようなものを感じることはない。
だがしかし、「何か何でも戦争を避けたい」「もう二度とかつての戦争のような塗炭の苦しみを繰り返してはならない」という思いは、国民共通の思いに違いない。こうした思いは同じでも、なぜか、改憲に賛成と考えてしまう人たちも現れてしまう。その方が、「戦争を避ける確率が大きい」と考えるのであろう。なぜか?
米軍に守られてきたから、今まで平和で経済も発展できた、と考えている人たちがいる。残念ながら、抑止力によって、曲がりなりにも平和が保たれている、と考えている人たちの方が多いのかもしれない。だからだ。
軍事力に頼っていれば、いつかは衝突することは避けられない。銃乱射事件がなくならない、アメリカの武器社会が雄弁に証明してくれている。では、どうすればいいのか?
軍事力がない方が平和な社会を建設できるということ、「何か何でも戦争を避ける」には、9条の精神以外にないことを、いかに説得力をもって提示できるかどうかにかかっている。今の私は、そう思う。
そして、「何か何でも戦争を避けたい」「もう二度とかつての戦争のような塗炭の苦しみを繰り返してはならない」という不退転の決意を持ち続けることである。
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