老いの渦中にある身故に、身に染みる言葉というものがあります。つい最近も、そんな言葉にであいました。「われわれは年齢が、われわれの手から次々と奪い去る生活の楽しみを、歯と爪でもって食いとめなければならない」(注1)です。この後で、『ローマ諷刺詩集』の著者ペルシウスの言葉を引用しています。
楽しみを摘み集めよう。いま生きているときだけがわれわれのものだ。やがておまえは灰となり、死霊となって、人の語り草となる。(注1)
この後文章は続き、最後に”真の幸福について”で、締めくくっています。以下の通りです。その中でも、セネカがルキリウスに語ったという「真の幸福はこれを理解すればするほどその楽しみも大きくなる —— それを満足して、生命や名声を延ばそうと望まなくなるように、守ってくれるであろう。」という言葉が身に沁みました。そして、歴史上でもいいので、常に、頭の中に思い浮かべられるような”人生の師匠”を持つべきなのかもしれません。
「常に、頭の中に、カトーや、フォキオンや、アリスティデスを思い浮かべ給え。彼らの前では馬鹿でさえ自分の過失を隠そうとする。そして彼らをきみたちのすべての意図の監督者とし給え。きみたちの意図が正道を踏みはずしたら、きみたちの彼らに対する畏敬の念が、それを元通りに軌道にのせてくれるだろう。彼らは、きみたちを、自分自身に満足し、自分以外から何物も借りず、自分の精神を満ち足りた明確な思想の中にしっかりと落ちつかせるように、守ってくれるであろう。そして、真の幸福を理解したあとでは —— 真の幸福はこれを理解すればするほどその楽しみも大きくなる —— それを満足して、生命や名声を延ばそうと望まなくなるように、守ってくれるであろう。」これこそ、本当の素朴な哲学の教えであって、前の2人(小プリニウスとキケロ)のような見せかけの口先だけの哲学の教えではない。(注2)(注1)『エセー・2』、モンテーニュ著、岩波文庫、p65
(注2)『エセー・2』、モンテーニュ著、岩波文庫、p67〜68
0 件のコメント:
コメントを投稿