2024年9月25日水曜日

光をもたらし続けるカント

 今、ショーペンハウアーの名文に感嘆し、その余韻に浸っています。
 実は、ショーペンハウアーの三分冊もある『意志と表象としての世界』とは、どんなことが書かれているのだろう、と、目次だけでも手に取ってみました。さすがに、目次を見ただけで難しそうでしたが、三分冊目は、付録としての「カント哲学の批判」だけだったのです。それで、初めだけでも、と読み始めたわけです。
 まず、感嘆したところは、カント哲学について論述した次の三点です。

 1、天才のもろもろの著作がもつこういう卓抜さというものは、究明することも、汲みつくすこともできない。それこそ、天才がおのれのもろもろの著作に刷りこむ印なのである。(注1)
 2、これらの著作は、ひきつづいて何世紀にもわたり、師匠として老いることを知らないものとなるのである。(注1)
 3、真に偉大な精神の持主によって完成された傑作は、いつも人間の種族全体に深く徹底的な影響を与えるものになる。どんなにへだたった世紀であれ、土地であれ、それは光をもたらし、影響を及ぼすことができる。(注1)

 続いて感嘆したのが「天才というものは与える力をもっているが、通常の人類というものは、これと同じだけの受け取る力すらもっていない」(注2)、です。それゆえ、「その認識はさらにまた、無数のまちがった解釈やひずんだ応用というもろもろの迂路をまずたどらねばならない」(『意志と表象としての世界 正編 3』、p10)のです。
 そうして、ついに「その源泉の内容を徐々に部分的に受けとり、しだいに同意の度合いを増してゆき、このようにして、あの偉大な精神の持主から発して人類に注ぎこむことになる恩恵の分け前にあそびずかるようになるの」(上同、p10〜11)です。
 そして、やがて、”時を介して”、カント哲学が現実的な力を発揮するようになると言います。つまり、やがて「カントの教説の力と重要さが全体として顕わとなるのも、まず時を介してのことであろう。それは、時代精神それ自身がいつかその教説の影響によっておもむろに形を改められ、最も重要な点でも最も内面的な点でも変化をこうむり、あの巨大な精神の力をいきいきと証するときのことなのである」と。

(注1)天才のもろもろの著作がもつこういう卓抜さというものは、究明することも、汲みつくすこともできない。それこそ、天才がおのれのもろもろの著作に刷りこむ印なのである。それゆえ事実またこれらの著作は、ひきつづいて何世紀にもわたり、師匠として老いることを知らないものとなるのである。真に偉大な精神の持主によって完成された傑作は、いつも人間の種族全体に深く徹底的な影響を与えるものになる。どんなにへだたった世紀であれ、土地であれ、それは光をもたらし、影響を及ぼすことができる。ただその度合いを測り知ることができないまでである。(『意志と表象としての世界 正編 3』、ショーペンハウアー著、茅野良男訳、白水社、1975年、p9)

(注2)一個の天才が一回きり(傍点部分)の盛りの時代に人生と世界からじかに汲みとり獲得し、獲得され準備されたものとして他の人びとにさしだした認識は、そういう事情にもかかわらず、すぐさま人類の所有物とはなりえない。天才というものは与える力をもっているが、通常の人類というものは、これと同じだけの受け取る力すらもっていないからである。(『意志と表象としての世界 正編 3』、ショーペンハウアー著、茅野良男訳、白水社、1975年、p10)

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