2024年9月23日月曜日

”命あっての物種”故に正戦なし

 日本においては、空襲で逃げ惑うことは昔のことです。ドラマや映画の世界の話です。しかし、ウクライナやレバノン、イスラエル、ガザ地区などでは、二十一世紀の今日なのに、空爆やロケット砲弾による戦闘状態が止みません。私たちは、見守るしか、方法がないのでしょうか?どこに解決の糸口があるのでしょうか?
 心配なことは、戦闘が拡大して核弾頭に触手が伸びてしまうことです。そうなる前に、せめて休戦状態に、できれば終戦になってもらいたいものです。そのためにも、戦闘が長引いている原因を考えてみる必要があります。
 実は、戦争を忌み嫌い、早く平和になってほしいと思っている人ばかりではないのです。つまり、を終結させないように奔走する人たちが昔から存在していたのです。エラスムスによれば、

 現にごく最近も、敵に対してよりも友に対してより強い敵対感情をいだいているある種の人びとが、ありとあらゆる手段を余すところなく講じて、戦争を集結させないようにと奔走したことをわれわれは目前に見て参りました。(『平和の訴え』、エラスムス著、箕輪三郎訳、二宮敬訳註・解説、岩波文庫、1977年、p12)

 そうでなくても、武器の供給がなければ、戦争は続けられません。つまり、戦争当時国に武器を供給するルートの存在が、戦闘長期化の大きな原因なのです。多くの国がウクライナを支援し武器を供与していることも事実ですし、それが正義とさえ言われてきました。それでは、戦争の長期化は避けられません。
 それでは、侵略されたら、やられっぱなしでいいのかという理由で防戦、正戦を主張すれば、その結果戦争が始まってしまいます。確かに侵略は許せません。かといって防戦して命を盾にして良いものでしょうか。”命あっての物種”だからです。真の独立はゆっくり取り返せばいいのです。無血開城の理論というものがあるのかどうか知りませんが、日本史ににおける徳川幕府の
無血開城は快挙でした。世界は学ぶべきではないでしょうか。

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