入植者たち、いや、侵略者たちは、やがてこの地に定住した。先述の史跡ツアーの目玉であるハンフォード高校は、一九一六年に創設された。ちいさな農村で、同校は重要な役割を果たしていたというが、マンハッタン計画の始動とともに、廃校に追い込まれた。入植者国家であるアメリカが、この場所をプルトニウム生産の現場に定め、軍事関係者以外は、強制退去の対象としたからだ。
強奪した土地につくられた、入植者のための教育施設、かつては、若人たちの元気な声がこだましていたはずの校舎は、いまや鉄条網に囲まれている。沈黙に包まれる廃墟の四方に広がるのは、茫漠とした風景だ。わたしが参加したツアーの当日は、近年多発している山火事の影響で、あたり一面に煙霧が立ち込めていた。
(中略)
煙のなかで、静けさに包まれた砂漠に、ぽつりと佇む廃墟は、人新世の現れである。それは時空を超えて、長崎、そして広島の惨禍、さらには損壊した福島第一原子力発電所、それらをとりまく葛藤と、幾重もの抑圧的な実状につながっているようにみえた。(『世界、2024年10月』p155)
この記事を読んで、国家の暴力性について考えさせられました。アメリカ軍が日本に対してとってきた態度も、差別意識だけでは説明できないのであって、そこには国家の暴力性が深く関与してきたということです。なぜなら、同胞のアメリカ国民に対しても、国家の暴力性が深く関与してきたからです。国家とは何なのか、新たな問いが誕生しました。暴力性がどのように解明されているのかを知りたいです。
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