2024年9月22日日曜日

人間は”ヒト”として皆兄弟

 ショーペンハウアーの言葉「普遍的なものに向かう精神の方向こそが、哲学や詩において、いや、一般に芸術や学問において真正なる業績を生む不可欠の条件なのである」(「哲学とその方法について」『ショーペンハウアー全集・12』、白水社、1996年、p12)を読んでいたら、前に読んでいた「汚染される郷土」という次の文章中にあった「国防のためには止むを得ない」も普遍的なものではないか、という思いが強くなりました。「国防のためには止むを得ない」という意味で繋がっている「米軍基地周辺における騒音被害や辺野古への新米軍基地建設問題」を想起したからです。こうして普遍的なものに向かってみると、軍事基地の本質的な側面が見えてきました。
 つまり、軍事基地というものは、戦時には暴力の本性が敵対国の人民に発揮される。しかし、平時には、その暴力性が国内の人民に発揮されるということです。国防のためという一言で、軍の暴力性が免罪されてしまうのです。それでも、常備軍の存在を許してしまっていいのでしょうか。同胞の泣き寝入りを黙り続けていいのでしょうか。やはり、常備軍廃止の方向に舵を切り替えるべきです。「人間は”ヒト”として皆兄弟」なのですから。
 さて、コロンビア川流域、つまりはその身体の静脈に流され、人新世の地理に織り込まれてきたのが、強い毒性をもつ化学物質や、放射性物質だ。上流で展開する農業や鉱業、とりわけ製紙工場などからはダイオキシンや水銀が、ハンフォード・サイトからは放射性物質までもが放流され、大気、土壌、地下水を汚染し、コロンビア川に流入した。とくに戦時中から冷戦期にかけては、国防のためには止むを得ないと情報制限がされ、杜撰な管理のもとに、凄まじい量の放射性物質が周辺地域に放たれた。(石山德子著「沈黙の廃墟 人新世に宿る植民地主義」『世界、2024年10月』p158)

0 件のコメント:

コメントを投稿