つまり、軍事基地というものは、戦時には暴力の本性が敵対国の人民に発揮される。しかし、平時には、その暴力性が国内の人民に発揮されるということです。国防のためという一言で、軍の暴力性が免罪されてしまうのです。それでも、常備軍の存在を許してしまっていいのでしょうか。同胞の泣き寝入りを黙り続けていいのでしょうか。やはり、常備軍廃止の方向に舵を切り替えるべきです。「人間は”ヒト”として皆兄弟」なのですから。
さて、コロンビア川流域、つまりはその身体の静脈に流され、人新世の地理に織り込まれてきたのが、強い毒性をもつ化学物質や、放射性物質だ。上流で展開する農業や鉱業、とりわけ製紙工場などからはダイオキシンや水銀が、ハンフォード・サイトからは放射性物質までもが放流され、大気、土壌、地下水を汚染し、コロンビア川に流入した。とくに戦時中から冷戦期にかけては、国防のためには止むを得ないと情報制限がされ、杜撰な管理のもとに、凄まじい量の放射性物質が周辺地域に放たれた。(石山德子著「沈黙の廃墟 人新世に宿る植民地主義」『世界、2024年10月』p158)
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