2024年9月12日木曜日

21世紀哲学の原理

 21世紀哲学が求められている、と書いたことがあります。梅原猛氏の思想に共感してのことです。その21世紀哲学の原理と、具体的な方向性を語ったところを見つけました。
 21世紀哲学の原理は、一言で”循環の思想”というものです。
 すなわち、
 

 人間もものもすべて永劫に循環してまたかえってくるという、そういう思想が二十一世紀哲学の原理にならなくてはならないと思う。そのためにはまず、ソクラテスをどうみるか、キリスト教をどうみるか、デカルト、マルクスをどうみるか、あるいは釈迦をどうみるか、孔子をどうみるか、というような問いに答えていかなくてはならないと思います。そういう新しい二十一世紀の哲学をつくりたい。(「人類哲学の創造」『梅原猛著作集・17』、p46)
 そうして、「近代文明の危機を救う道」という小論にまとめています。まず、資本主義と、資本主義を批判して誕生したマルクス主義の両者を、近代主義としては同類と見做し、近代主義では「近代文明の危機」を救うことはできないと結論しています。その上で「この近代文明がもたらした環境破壊、精神の崩壊という危機から、人類はいかにして救われるか」という問いを立て、「進歩と欲望という友人を捨てて、共存と循環という新しい友人と親しくしなければならない。・・・・それをしないかぎり、人類の未来はありえないと私は思う」と、次のように答えています。
 私は、現代科学によってすでにこの問題の解決の方向を暗示する警示を与えられていると思う。それは、ワトソンらによるDNAの二重螺旋構造の発見である。それは相対性理論と量子力学とならんで現代科学の三天発見であるといわれるが、生きとし生けるものはDNAの配列によってその運命が決定されるという。どこかデモクリトスの原子論を思わせる理論であるが、ここで重要なものは植物であり、動物であり、アメーバであり、カビであり、すべて同質なものであることが示されたことである。
 まさに環境破壊の時代が始まるときに発見されたこの法則は、仏教の「山川草木悉皆成仏」という言葉にも通じ、いまさらながら人間の生命が自然から孤立したものでなく、人間は自然と共生しなければならないことを教える。そして生きとし生けるものは、すべて生死の循環を繰り返しているのである。生あるものは、個としては必ず死なねばならぬ。しかし、種としては循環を繰り返し、生きつづけるのである。
 この共存と循環の原理こそ、人類のもっとも古い文明の原理であるが、人類が農耕牧畜生活を始めるや、人類は、自分は神によって理性を授けられた特別なものと思いこみ、自然の支配征服を始めるのである。この自然支配は近代科学技術文明の発展によってますます倍加され、人類はそれにより。かつて思いもよらなかったような富を手に入れたが、それと同時に、人類の未来を脅かすような環境破壊という傷をも負ったのである。
 もう科学と技術は、長い間、彼らが親友としていた進歩と欲望という友人を捨てて、共存と循環という新しい友人と親しくしなければならない。そうすることによって、欲望を超えた人間の倫理性、宗教性が目覚めるのである。 古い友と別れるのは容易なことではないが、それをしないかぎり、人類の未来はありえないと私は思う。(上同、p243〜244)

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