2024年9月20日金曜日

隠蔽されてきた“第四の被曝”

 NHKスペシャル「封じられた“第四の被曝(ひばく)”-なぜ夫は死んだのか-」(2024年9月14日)で、日本人がアメリカの水爆実験「ポプラ」(1958年7月12日)のモルモットにされた可能性のある被ばく事件のことを知りました。映像に示されているように、水爆実験のあった2日後には危険区域の近くを航行し、隊員が測定した放射線量も急上昇しています。水爆実験の危険海域近くに行かされたわけですから、何も知らずに被曝したビキニ事件と質が違うと思います。


 1958年、海上保安庁の船「拓洋」と「さつま」の乗員113人が被ばくしていて、その1年後、乗員の永野博吉さんが急性骨髄性白血病で命を落としていたのです。妻の澄子さんは事件の実態を知らされず、したがって公務で被曝していたにも関わらず補償もなく、その後の人生を過ごしてきたのです。
 なお、以下は友人メール内容です。
 番組の紹介ありがとうございました。
 初め、“第四の被曝”とは、福島原発事故のことかと思ってしまいました。しかし、間違っていました。海上保安庁の船「拓洋」と「さつま」の乗員113人が被ばくしていたんですね。全く知りませんでした。
 「私たちの社会が、その存在すら忘却してきた被ばく事件」と番組紹介がありました。しかし、真実は知らされていなかっただけでした。知らなくて当然だったのです。
 一番驚いたことは、多くの核実験に日本も加担していたらしいということです。それも、水爆実験の影響が及ぶ海域に向かって放射線の測定器など積んで出かけて被曝したわけですから、水爆実験の影響を調べるモルモットにされた(このことは、番組を見ていた時は気づかず、今書いていて気づいたことです。)と言っても過言ではないと思います。
 被曝の実情を知ったアメリカは「核実験反対運動が発展、アメリカはそれを恐れた。被ばくの『許容線量基準』を設けることで核への抵抗感を薄めようとしてきた」のです。


 そうした動きに呼応したかのように、東京大学農学部放射線による海洋汚染を研究檜山義夫教授は、「許容線量という概念は、核実験のために作った」とアメリカに手紙を送っていました。さらに、「人類が核エネルギーを享受していくためには一定のリスクを受け入れる」と言った発言が残されていました。
 このような核をめぐる大きな流れを知って、日本における第五の被曝を体験したにもかかわらず、その大きな流れが奔流となって流れていることを痛感しました。それゆえ、自然エネルギーへの転換にブレーキがかけられているのではなか、と。
 それにしても、都合悪いことは隠蔽しまえということが綿々と続けられてきたことに呆れてしまいます。このような体質の官僚と政党を、どうしてこれまで日本人は許してしまったのでしょうか。

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