もし、平和や愛の達成というものが、戦争の残酷さを語りついだり、デモや署名活動に参加したり、いっしょに歌を歌ったり、千羽鶴を折ったりすることで達成できると思っている若者や壮年や老人がいるとしたら、平和や愛とは、そのために自分の持ち物や財産をどれだけ差し出し、自分が盲目になることや、最後には自分の命さえ与えることを承認することだ、ということを悟るはずである。平和は平和を叫けでは達成しない。そのためにどれだけの犠牲を払う覚悟があるかを自分で選ぶのだ。(上同、p49)
しばらく経って、神谷美恵子さんの、次の文章の中に「みごとな老人というものは、死にさいしても公のこと、他人のことを気にかけているものだ」という言葉を見つけ、この言葉の中に、『幸福の王子』の真実が含まれているのではないか、これなら、手の届く真実だと、思えました。そして、臨終の最後の言葉が、「永遠の平和、永遠の平和 —— 」だったという元首相鈴木貫太郎のことを思い出しました。彼も、みごとな老人だったようです。
八〇歳を過ぎて頻死の床にある田島を見舞ったときのことを、美恵子は次のように書いている。
「最後に病院にうかがったとき、先生は酸素テントに入っておられたが、おそばの手でテントを押し上げ、お顔を近づけて真剣な表情でいわれた。
『私のことはね、心配しないでいいから、あのことだけは頼みますよ。いいですか」
『あのこと』とは、全く公のことであった。みごとな老人というものは、死にさいしても公のこと、他人のことを気にかけているものだ。苦しい呼吸の中での、あのことばの迫力に、私は今なおたじたじとしている」(『神谷美恵子著作集』みすず書房)
「あのこと」とは、さる皇族の心の主治医として美恵子が助力していたことを指す。(『神谷美恵子人として美しく いくつもの生ただひとつの愛』、柿木ヒデ著、大和書房、1998年、p162)
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