最近注目している日本の思想家和辻哲郎さんもニーチェの思想を研究し、「ニ-チェ研究 序論 本論第一新価値樹立の原理 本論第二価値の破壊と建設」(『和辻哲郎全集・1』)といった業績を残している。ニ-チェの著書から学ぶのも良いが、日本の思想に詳しい研究者による研究書から学ぶことも必要であろうと考えている。良き先輩の導きがあればこそ、真のニーチェの思想の理解が進むと思うからだ。
さらに、カントの研究も、ニーチェの思想の理解を助けるに違いない。二人に共通する点を見出したが、二人に共通する点があるということは、それだけ、その点には普遍性があるということになる。ニーチェによると「人間とは乗り超えられるべきあるものである」(『ツァラトゥストラ』、手塚富雄訳、中央公論社)。そして、
乗り超えられる凡庸な俗人は「最後の人間」(der letzte Mensch)(手塚はこれを「末人」とするが、これは取らない。同様に高等な人間=der letzte Menschを手塚は「高人」とするが、これも取らない)と言われます。
要するに、ニーチェとって、世間一般の俗人は、既成の道徳律に縛られた奴隷であり、家畜の群れのような存在であり、侮辱と軽蔑の対象でしかないない存在だとされます。 現在は、そういう卑しむべき連中が支配的になろうとしている時代だと。(『サピエンスの未来 伝説の東大講義 講談社現代新書 立花隆著、講談社、p 282〜283)
ニーチェが「最後の人間」あるいは「末人」といったのに対しカントは、『啓蒙とは何か』の中で、「未成年の状態」といった。啓蒙とは、人間が自ら招いた「未成年の状態」から抜け出ることだという。つまり、「人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる」(カント著『永遠平和のために/啓蒙とは何か』)。カントがいう「未成年の状態」から抜け出ることで、ニーチェの言う「超人」になることができる、と言えるのではないだろうか。
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