要約すると、秩序立った歴史といういうものが重要なので、秩序立った歴史が成立するための二つの条件、つまり、そこでおこっているある種の事柄に持続性があるということと、変化がどうしても必要です。持続性といえば、日本共産党が日本の政党間では最もその条件を満たしています。しかし、変化というと、その条件が見渡りません。持続性を保守、変化を革新とすれば、「革新のない保守というのは停滞にすぎない」(上同、p158)という言葉が気になります。本当にそうなのでしょうか。今後の検討課題です。
時間的にみると、基本的な問題は持続と変化の問題。これを社会的・政治的状況に移して言えば、日本で言われている保守的な立場と革新的な二つの立場の対立によってある程度代表されています。保守と革新。しかし言葉の選び方に関しては、政治的な概念はかならずしも正確ではなくて、保守と言うよりは反動と言ったほうがいいかもしれないし、革新というのは進歩的な立場と言ったほうがいいかもしれませんが、現在広く使われている言葉で言えば、保守対革新の問題に部分的に重なってきます。
しかし、持続と変化の問題はもっと根本的で、したがってもっと広い。政治的な問題だけではない。これをいくらか哲学的に言えば、もし変化がゼロならば時間はない。時間概念が現実を叙述する範疇として、あるいは世界認識の概念的な道具として生きてくるのは、変化があるからです。変化が止まるときは時間がなくなる。(p141)
だからどうしても変化が必要なのですが、しかし、変化だけならばそれはカオスです。持続的な要素がそのなかにないと、秩序立った時間の経過にはならない。すべての歴史的時間は単なる混乱ではないでしょう。秩序立った歴史ということが成立するためには、二つのことがどうしても必要な条件となる。一つは、そこでおこっているある種の事柄に持続性があるということ、他方で、変化がどうしても必要です。持続と変化のバランス、あるいは緊張関係、あるいはダイコトミーは、歴史が成立するための条件になると思います。
これを空間的に見ると、中心と周辺という考え方は、中心部からは、ある意味で必然的に、世界を理解する仕方が全世界を含むかたちで出てくる。その意味で、普遍的な思想は中心部から出てくる。そして、普遍的な理想、あるいは考え方、あるいは環境理解というのは同時に抽象的です。抽象的概念の構造をつくり出すことで世界の普遍的なモデルをつくることができる。普遍的というのは、どういう地域にも該当するということです。(『加藤周一最終講義』、かもがわ出版、2013年、p141〜142)
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