2024年4月25日木曜日

日本国憲法の平和主義健在なり

 日本の自衛隊の戦力は、世界に肩を並べるほどに拡大されて来ました。そんなこともあって、日本国憲法の平和主義も”ズダズダに引き裂かれてしまっている”と言われることがあります。戦後民主主義についてさえ、疑問視する声があります。私自身、多少、そういうものかな、という思いもありました。しかし、国民の権利という視点で見れば、日本国憲法の平和主義、戦後の民主主義というものが立派に機能していることがわかりました。その根拠は次の通りです。
 「自己の意思に反して他人を殺すことを強要されない権利」と「他人を殺すための訓練を強要されない権利」というものは、「日本人は自覚することなく、文字にすることさえ忘れて、今日まで生きてきた」と言われるように、あまり問題にされて来ませんでした。そして、いつも注目されるのは、日本国憲法13条です。しかし、平和主義との関連で見れば、第一八条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」こそ重要だったのです。上記の「自己の意思に反して他人を殺すことを強要されない権利」と「他人を殺すための訓練を強要されない権利」は、第一八条「何人も、・・・その意に反する苦役に服させられない」から導き出せる権利だと思います。したがって、たとえ自衛隊の軍事力が強力になっても、日本国憲法第一八条が健在である限り、”日本国憲法の平和主義健在なり”なのです。

 私たち日本人は、この五〇年間、誰一人「自己の意思に反して他人を殺すことを強要されない権利」を侵された人はいません。また、「他人を殺すための訓練を強要されない権利」も享受し続けてきました。これは、日本国憲法が私たちに与えてくれた全く新しい基本的人権の一つなのです。
 この素晴らしい権利を、日本人は自覚することなく、文字にすることさえ忘れて、今日まで生きてきたのです。
 日本には、自衛隊という組織はありますが、日本の青年は、兵役の義務はありませんし、軍事訓練を受ける義務もありません。自衛隊の人たちだって、その気にさえなれば、兵士としての命令による殺人を拒否する自由はあるのです。
 日本人は、この五〇年間、日本国政府の行為としての戦争に参加することなく、「敵兵」といわれる立場の人を殺すことを命令されないで生きてきました。徴兵制がなく、兵役の義務がないということは、戦争をしない国の国民という以上に、計算では計りえないおおきな恵みが、与えられてきたのです。
 兵役の義務が一般的である諸国の人びとは、人間が最も感受性・創造性の強い青年期に、軍隊という「官」組織の中で、「上意下達」の生活習慣をねじこまれ、「殺人」と「戦争」のための訓練を強いられ、集団生活の中で、理性と感性を殺す生活環境の中で生きることを強いられ続けているのです。(『地球時代の道しるべ 今、憲法九条を世界に活かす』、太田一男著、法律文化社、1996年、p85〜86)

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