「本を読んだり、机の前に座ってサマライズすることはあんまりないのね。そんなふうにして、人間は考えがまとまるものじゃないって私は思うの。だから、自分の中にわき上がった問いの答えが出なかったり、原稿を書きながら、『ここはわかっていないな』と思うと、そこでやめるのね。
それで、しばらく家のことをやったり、庭を散歩しながら、それはどういうことなのかとか、どういう言葉に置き換えることができるか、考えていくようにしているの。
たとえばおいしいと感じたら、私はどうしてそれをおいしく感じるのか? まずいと感じたら、それはなぜなのか? 素材なのか、体調なのか、あるいは思い出に関わっているのだろうか、とかね。もっと楽しいことでは、誰かが素敵な着こなしをしていたら、どうしてよく見えるのかなっていうことを考えたり。
そんなとき、歩いたり手仕事をしていると、考えがまとまりやすいと思う」
「人間は感じているだけではダメよ。経験っていうのは見聞きするだけではほとんど役に立たないの。見聞きしたものを、自分の中できちんと整理していかないと進歩しないし、生きていく力にもなりません。
でも一度サマライズしたからって安心できるものでもありません。新しい経験で、そのサマリーをまた訂正していかなくては。それは生きていくかぎりずっと続くのです」(辰巳芳子著「積み重ねが力になる私の元気習慣」『生きる力を鍛えるヒント:ゆうゆう7月号増刊』、主婦の友社、2022年、p49)
ここでいう概括化する思想の一つに「ビッグピクチャー(全体像)」をはっきりとらえる」というものがあります。世界の問題は多岐にわたっています。その全体を捉えて対策を考えないと、力が分散してしま雨と思うのです。だから、「ビッグピクチャー(全体像)」をはっきりとらえる」ことが重要になってくきます。この点を立花隆さんは「この時代を丸ごととらえるにはどのような考え方をすれば良いのか」(『21世紀知の挑戦』、文藝春秋、p14)という問いを持ち、「一九九八年は、ほとんど丸1年間、20世紀をどう総括し21世紀をどう展望するかという議論ばかりやってきた」(上同、p12)と書いています。その結果が「サイエンスが人類を変えた」に結実したようです。
すてきな大変化と私たちのあいだを隔てているのは、じつはとても薄い壁だけなんです。化学物質や発ガン性物質の氾濫、遺伝子組み換えや原子力発電の問題などは、すべてが上から押しつけられたものだから、その筋道を止めることによって、世界中がほっとひと息つくことができる。そのために私たちは「ビッグピクチャー(全体像)」をはっきりとらえる必要がある。そして「N0!」を突きつけるんです。(『いよいよローカルの時代:ヘレナさんの「幸せの経済学」』、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ・辻信一著、大月書店、2009年、p158)
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