2023年12月5日火曜日

戦争を根絶するための資本論

 前に、 「兵器という商品の物神性が大きな力となって人間を支配し始める」と書いて、商品の物神性というものを問題にしたことがあります。しかし、資本論を読み直しているうちに「経済的社会構成体の発展を一つの自然史過程ととらえる」こと、従って、「個々人に諸関係の責任を負わせることはできない。個人は主観的には諸関係をどんなに超越しようとも、社会的には以前として諸関係の被造物なの」(「序言[初版への]」『資本論・1』、カール・マルクス著、新日本出版社、p12)だという観点が問題であると思うようになりました。
 別の訳も、参照してみました。「私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんなに諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係所の所産なのだからである」(「資本論」『マルクスエンゲルス全集23a』、大月書店、p11 )。ここで登場している個人とは、具体的にプーチンのような人を指し、彼も結局、諸関係の被造物(所産)にすぎない、ということを意味します。
 だとすれば、戦争を根絶するためにも、資本論の最終目的である「近代社会の経済的運動法則を暴露する(明らかにする)こと」(上同)が欠かせないことになります。しかし、問題は、そう簡単ではないことです。その上、「たとえある社会が、その社会の運動の自然法則への手がかりをつかんだとしても、その社会は、自然的な発展諸段階を飛び越えることも、それらを法令で取り除くことも、できない」。ただ「その社会は、生みの苦しみを短くし、やわらげること」(上同)だけだと言います。

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