2023年12月22日金曜日

大日本帝国の日本人家畜化政策

  旧日本軍のことは、いろいろ言われていますが、その特殊性について正しい理解がなされているのだろうか、という疑問が生まれました。私自身、戦争という概念において、ドイツも、イタリアも日本と同じように理解し、殊更特殊性らしきものはないと思っていましたが、戦争中に支配的だった思想について、「人類最大の悪」と喝破した文章に出会ったからです。次のような文章です。

 この思想は、家畜の運命を表徴する思想です。個体を殺して主の生を養うのは家畜の運命です。人間を家畜の運命にまで堕落させることは容易な業ではありません。人間には向上進歩の本能があります。それを逆行させるのですから大変な努力です。国民を無知にし、無気力にし、従順にし、死を嫌はない様に錬成しなければなりません。これは天意冒涜です。人類最大の悪です。この悪を敢て為したのが大日本帝国です。そのお先棒を勤めたのが日本の文部省であり、その爪牙となり、家畜の臀を叩く鞭の役を勤めたのが内務省と司法省とです。彼等は一般国民を牛馬的の家畜とし、自分達は番犬的家畜であり度かったのです。番犬は同じ家畜でも、一段と主人に近く、殺されないですむ動物です。(『正木ひろし著作集 4』、家永三郎他編 、三省堂、1983年、p57)

 こうした大日本帝国が行った戦争感、特攻隊を生み出した戦争観はこうです。

 先づ憲法論から始った戦争です。国民に自由は無い、国民に主権は無い、国民は滅私率公し、天皇のためにのみ生存し、天皇の為めに万歳を唱へて死すべきものであるという恐ろしい前提から始った戦争です。国民の幸福などいうものが入る余地はありません。国民を牛馬的な家畜にすることから出発した戦争です。換言すれば、個人的「生」の否定から始まった戦争です。自国民を天皇の為めに犠牲にするという思想を背景とする戦争です。煩悩を殺し、海行かば水漬く屍、山行かば苔むす屍、大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ、といふことを最高の善とする戦争です。凡そこんな無慈悲な動機をもつ戦争がかつて地上に存在したことがあるでしょうか。(上同)

 どうでしょうか。このような戦争観は、日本独特のものだというのですが、丸山眞男さんは、あるいは、昭和史に詳しい半藤一利さんは、果たして同じようだったのか、気になってきました。

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