私が生きているということは、私を取り巻く環境との関係があって成立しています。食べ物も、エネルギーも、外の世界の一つの環境ですが、それらの環境は生に直結しているものです。それに対して、生に直結はしていないものの、脳の栄養になる知的環境というのも存在しています。多くの情報は知的環境となって、私の脳の中に入ってきます。しかし、食べたものと違って情報は、意識的な努力、例えば編集作業を経なければ、構造化されません。立花が言うように「あらゆる存在は関係性の総体としてある」にしても、「関係性」そのものにいろんな関係性があるようです。構造化された関係もあれば、構造化されないランダムな関係もあるのです。だからこそ、編集力というものが必要になってくるのです。ですから、「人間とは何かを考えるということは、人間以外のすべてと人間の間の関係を考えるということ」ですが、「人間の間の関係を考える」ということは、「人間の間の関係を編集する」ということなのかもしれません。こうした観点で、「人間以外のすべてと人間の間の関係」を考えてみたいと思います。
以上、下記の引用文をもとに考えたことです。
最初になすべきことは、それがそれ以外のものとどういう関係に立っているのか、その関係性において考えてみるということです。その関係性をあらゆる局面においてとらえていけば、それがいかなるものであるかは自然に見えてきます。あらゆる存在は関係性の総体としてあるんです。私という存在についていうなら何との関係についてそういえるかといえば、自分以外のすべてのものです。自分以外のすべてのものとは何かというと、環境です。(中略)人間とは何かを考えるということは、人間以外のすべてと人間の間の関係を考えるということです。人間とそれを取りまく環境とのあらゆる関係を最も広い視野においてとらえ直してみようということです。この場合の環境とは、いわゆる環境問題でいう環境概念よりはるかに広義のものであるということに注意してください。
ここでもう一つ注意しておかなければならないのは、もう一つ別の関係性を見落してはならないということです。それは、「『環境』と『宇宙』のたった一つの違いである『私』」という視点から見た関係性です。〈私〉抜きで見えてくるのは、客観的関係性だけです。そのとき見えてくるのは〈私〉抜きの客観的世界像です。(『東大講義人間の現在・1』、立花隆著、新潮社、2000年、P23)
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