読売新聞といえば、憲法改正に積極的という傾向が強いと思ってきました。その読売新聞の社説(一九五六年五月三日)で「憲法改正のごときは国の大事業であり、駆足ですべきではない」と憲法改正に対する慎重論を展開していたことを知りました。さらに見逃せないのが「新憲法の根本主義たる主権在民、平和主義、民主主義はすでに日本国民の胃で消化され、いまは血や肉となっている」と、評価していたことです。一度血肉化した主権在民、平和主義、民主主義は、そう簡単に変えることは困難だと思います。
だからでしょう。読売新聞オンラインの見出しですが「改憲「党派超えた連携」重視…首相、任期中実現に改めて意欲」(2023年12月6日)が「衆院憲法審 改憲条文案 作成進まず…首相の総裁任期中 困難に」(2023年12月8日)という具合です。
現行憲法は生粋の日本製でないかも知れないが、日本の、そして日本国民の憲法であることは否定できない。⋯⋯新憲法の根本主義たる主権在民、平和主義、民主主義はすでに日本国民の胃で消化され、いまは血や肉となっている。⋯⋯従ってたとえ部分的には改むべきものがあるとしても、いままで新憲法が果してきた功績を無視し『自主的でない』『おしつけられたもの』という理由で、これを葬り去ろうというのは、不当である。⋯⋯
天皇、国務大臣、国会議員は、この憲法を尊重し、擁護すべき義務を持っている。尊重し擁護するというのは、たんに憲法の規定に反しないというのとは違い、積極的な意味を持つ。しかるに軽々に自主憲法制定という名の下に、全面的な憲法改正を企てて、どうして国民に憲法を守れといえようか。憲法改正のごときは国の大事業であり、駆足ですべきではない。そして現在改正を急ぐ要因はなにもないのだ。(『日本国憲法「改正」史』、渡辺治著、日本評論社、1987年、p475)
0 件のコメント:
コメントを投稿