手塚治虫の作品に「三つ目がとおる」という漫画があります。三つ目小僧という妖怪もいます。やはり、第三の目は、あるのでしょうか。正直な話、あまり信じてはいませんでした。しかし、詩人永瀬清子の作品「第三の眼」の解説を読んで、「第三の眼」もあるのかも知れない、と思いを新たにしました。
詩人の永瀬清子の「第三の眼」という作品にはこんな一節がある。
《老とはきっと
心をゆりさますふしぎな第三の眼が
額の上にきざまれることだ。
そこから射す光線は
帽子のダイヤをまわすように
物体のかげに時間のせせらぎをみせるのだ。》
「帽子のダイヤ」はメーテルリンクの『青い鳥』に出てくる次元旅行を実現する「ダイヤ」なのだろう。肉眼の能力は老いによって衰える。しかし、美や言葉の奥に隠された叡知を感じるちからは、いっそう確かになる、というのである。(批評家)(若松英輔著、「老いて増す能力 永瀬清子『第三の眼』」、日本経済新聞、2023年10月7日)
「第三の眼」を調べていて、同名の本があることがわかりました。なんとその本に「僧たちが金色の炎につつまれていたのをありあり見たのはとても奇妙な経験」が語られていました。普通の人には見えないのに、修業を積んだ僧たちには、後光らしきものが見えるようになった、というのです。多くの仏像に後光も彫られているのは、真実の姿のようです。
ラマ・ミンギャール・ドンダップは私のほうを向いて言った。
「さぁ、これでお前は私たちの仲間にはいったのだ、ロブサン。これからは生涯をつうじて、お前は人間の外観ではなく、真の姿を見ることになるのだ。」
このとき、この三人の僧たちが金色の炎につつまれていたのをありあり見たのはとても奇妙な経験であった。しかし、彼らの霊気(オーラ)が金色なのは、その積んだ業が汚れのないものだったからで、他の人たちはそうは見えないということを悟ったのは後になってからであった。
新しく見いだされた私の感覚がラマ僧たちの巧みな指導によって発展してゆくにつれて、私は、内奥の霊気を越えて外に広がる他の生気があることを会得した。まもなく私は霊気の色彩や激しさによって人の健康状態を診断することができた。それから霊気の色彩が波動する様子によって、人が真実を語っているときとウソを言っているときの区別ができた。(『第三の眼 : 秘境チベットに生まれて』、ロブサン・ランパ 著、今井幸彦訳、光文社、1957年、p109)


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