2023年10月25日水曜日

「近代社会」の起源

 いやー、驚きました。「ギリシャのポリス<都市国家>が、歴史上、 最も速く、全面的に<貨幣化>された社会であった」(『経済学の宇宙』、岩井克人著、日本経済新聞社、2015年、p418)。そんなわけだから、「すでに紀元前7七世紀後半には、ギリシャでは一般的な交換手段としてのコインが流通し始めていた」(上同)というのです。
 しかし、驚いたのは”このこと”だけではありません。ギリシャ古典学の権威であるシーフォードによれば、貨幣経済が近代につながる「哲学や民主主義」を生み出したというのです。

 シーフォードはさらに続けます。人びとが、このようなモノの次元における多様性をすべて統一してしまう抽象的な価値としての貨幣を日常的に使い続けること――それこそが、紀元前六世紀のギリシャのポリス(都市国家)において、「近代」にそのまま通じる哲学、民主主義、そして悲劇や喜劇を生み出したのだと、論じ始めたのです。(上同、p419)

 それでは、なぜ、貨幣経済が民主主義を生み出したのでしょうか。その点にも言及していました。

 六世紀半ばに、初めてアテナイでコインが作られた。それは、アテナイの「民主制」の起源である五百人評議会の設置と陶片追放制度の導入の年―紀元前五〇八〜五〇七年――に先立っている。貨幣の登場は、親族関係や互酬性や報恩義務などにもとづく共同体的な紐帯から「個人」を開放し、一人一人が独立した一市民として議会で投票する民主制の発展を促した。マルクスが言ったように、「貨幣は主人を持たない」。(上同、p421)
 なるほど、こうして民主制が誕生したのですね。しかし、貨幣は、「孤独」や「権力」までも生み出していました。次のように、「貨幣はまさに具体的なモノに縛られない抽象的な価値であることによって、無限の蓄積を可能にし、共同体的な規範に抗って、無限の権力を求める個人を生み出してしまう」というのです。
 貨幣経済では、個人は貨幣さえ所有すれば、共同体的な紐帯を原則的には必要としなくなる。だが、それは同時に、その個人を、神からも血族からも切り離してしまう。まさにそのような個人の徹底的な「孤独」に焦点を当てているのが、ギリシャ悲劇である。それだからこそ、同じ「孤独」の中に生きているわれわれ「近代人」も、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスが創作した悲劇に対して全面的な感情移入が可能になるのである。
 その個人の孤独を最も先鋭的に体現しているのが、僧主(ティラノス)である。貨幣はまさに具体的なモノに縛られない抽象的な価値であることによって、無限の蓄積を可能にし、共同体的な規範に抗って、無限の権力を求める個人を生み出してしまう。それが潜主である。(上同、p421)

 これらの議論から分かること、

 それは、紀元前六世紀以降の古代ギリシャ社会が、すでに「近代社会」と呼べる社会であったということ、そして、その「近代性」は、古代ギリシャ社会がまさに全面的に「貨幣化」された社会であったからである、ということです。(上同、p423)

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