2023年10月4日水曜日

プラトン「メノン」を読む・3

 やはり、プラトン「メノン」では「無知の知」について言及していました。「無知の知」は、知的探究の原動力だったのです。「いまならこの子は、自分が無知な者として、よろこんで探求するつもりにもなるだろう」というのです。少し長いですが引用してみます。

ソクラテス こんども気がつくかね、メノン、この子が想起の過程において、すでにどんなとところまで前進しているかを。――最初この子は、八平方プゥスの正方形の一辺がどのような線であるかを知らなかった。ちょうど、いまはやはりまだ知らないでいるのと同じように。しかしすくなくとも、あのときには、この子はそれを知っていると思いこんでいたのだ。そして、あたかも実際に知っているかのように確信をもって答え、そこに何ら困難も感じていなかった。ところがいまでは、この子はすでに自分が困難に行きづまっていることを自覚して、知らないでいる実情のとおりに、また知っていると思いこむようなこともないのだ。
メノン おっしゃるとおりです。
ソクラテス  だから、いまこの子は、もともと自分が知っていなかった事柄に関して、前よりも進歩した状態にあるのではないだろうか?
メノン その点も同感です。
ソクラテス とすると、われわれはこの子を困難に追いこんで行きづまらせ、シピレェイのようにこの子を痺れさせることによって、よもや有害な影響をあたえたことにはならないだろうね?
メノン たしかにそうとは思えません。
ソクラテスとにかくわれわれのしたことは、どうやら、事柄の真相発見の一助となったらしいのだからね。なぜなら、いまならこの子は、自分が無知な者として、よろこんで探求するつもりにもなるだろうが、前にはしかし、二倍の面積の正方形は二倍の長さの線をもたなければならぬなどということを、いい気になって、たくさんの人に何べんもくりかえしながら、それでうまく語ったつもりになっていたことだろうから。(『プラトン全集・9』、藤沢令夫訳、岩波書店、p286〜287、強調は引用者)

 問いを持つことの重要性を説いた本に『答えが見つかるまで考え抜く技術』(表三郎著、サンマーク出版、2003年)という本があります。「答えが見つかるまで考え抜く技術」の核心は「『問い』を持って生きること。ただそれだけだ」(p3)と言いきっています。この場合の「問い」こそ「無知を知」ではないでしょうか。『答えが見つかるまで考え抜く技術』は積読状態でしたので、しっかり読んでみたくなりました。

 

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